2021年11月28日日曜日

神、我らと共にいます(2021年11月28日 待降節礼拝)

宣教「神、我らと共にいます」 秋場治憲(あきば はるのり)兄
讃美歌21 280番 馬槽のなかに 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「神、我らと共にいます」

マタイによる福音書1章18~25節

昭島教会 秋場治憲兄

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

今日はアドベント第1主日、アドベントの季節に入って迎える最初の聖日ということになります。では、そもそもアドベントとはいったい何なのだろうか、そういう疑問がわいてきます。アドベントというのはラテン語のadvenio(アドベニオー)という言葉に由来しています。これは「近づく」「到着する」「やって来る」という意味の動詞です。Ad というのは英語のtoに当たる言葉で~の方へ、~に向かってという接頭語です。これにvenio という「やって来る」という動詞がつながった形です。ではいったい何が何に向かってやって来るのか、ということになります。聖書は神の子が私たち一人一人を目指してやって来る、やって来たのだ、と宣言しているのです。

私たちはよく神とは何であるのか、とよく考える。哲学者たちも考える。では聖書は何と言っているのか。聖書は「神は愛である 」と証言しています。愛というのは一人では成立しません。そこには必ず「愛する者」と「愛される者」が大前提として含まれています。この関係から愛を切り離して、神だけを捉えようとするのが哲学であり思弁 と言われるものです。私たちはこの哲学的な思弁に引き込まれないように、気を付けなければなりません。神を客体化して眺めることはあっても、その神によって慰められたり、励まされることはない。キリスト教の神、聖書の神は「愛である」とは、必ずそこには相手がいるということです。そして愛するということは、その相手に連帯化するということ、その相手の立場に立つということです。「人間を愛する神」と「神によって愛される人間」が大前提として含まれているということです。

アダム以来罪の縄目に打ちひしがれている者たちを、神の子の義の衣をもって覆い、傷なき者、全き者として神の国に迎え入れるために、神の子が遣わされた。この神の子がやって来る、やって来たというのです。そしてマタイはこの神の子が旧約聖書の預言に従って、アブラハムの子、ダビデの子として、一人の乙女から誕生したと伝えています。

今日のテキストは「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。」という文章で始まります。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。」

さてこれは大変なこと。15、6歳の少女が、ある日突然妊娠していることが分かったというのです。現在の日本においてであっても、これは周辺を巻き込んだ大騒動になってしまいます。二千年前のユダヤの地においては、更に大変なことでした。旧約聖書の申命記に次のように記されていたからです。「ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない。 」と決められていたからです。マリアが妊娠していることが公になれば、彼女は間違いなく<石打ちの刑>に処せられる。

しかしマタイ福音書のマリアは、一言も発しない。驚きの言葉一つ発しない。夫ヨセフも同様に一言も発することはない。

マタイ福音書の降誕物語は、ただ淡々と粛々と神の計画が、遂行されていく様を私たちに伝えています。ここには人間的な何かが介入することを許さない、神の独占的な支配が全体を覆っています。

「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」

私はここを読んでいて、いつも不思議に思っていたことがある。マリアのことを表ざたにすることを望まず、ひそかに縁を切ろうとしたヨセフの正しさとはいったい何なのだろうか、という疑問です。

もしヨセフが当時の律法の基準、規範に従った正しい人であったなら、先ほど読んだ申命記の言葉に従って、マリアを告発することが正しい人として為すべきことであったはずです。正しい人ヨセフとひそかに縁を切ろうとしたヨセフはつながらないのです。ヨセフは今や律法の基準に従えば、正しくない人になることを決心しているのです。

もう少し詳しく見てみようと思い、英語の口語訳聖書ともいわれるRSV を開いてみました。中学生レベルのとても易しい英語です。

her husband Joseph, being a just man, and unwilling to put her to shame, resolved to divorce her quietly.  

私はこの英語の文章をノートに書き出して、しばし眺めてみた。ギリシャ語の原文も書き出してみた。そして驚いた。英語のand にもギリシャ語のκαι(カイ)にも 意外・対照的なことを述べる場合に使われて、「しかし」、「それにもかかわらず」と訳されることを思い出した 。

Being(現在分詞であった) a just(ジャスト 正しい) man(マン 人・男),  and

Δικαιος(ディカイオス 正しい)ων(オーン 現在分詞であった) και

ここでand、 και を「それにもかかわらず」、「それなのに」と訳したらどうなるか。ここには新しい世界が待っていました。もしここを口語訳や新共同訳のように「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」と訳すと、ヨセフは正しい人だったから正しい決断をしたということになり、ここには何の苦悩もなかったかのようです。しかしここを「夫ヨセフは正しい人だったが(それにもかかわらず、それだのに)、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」と訳してみると、正しい人、律法の人としてのヨセフが、律法の基準、規範に従えば、正しくない人に向かって舵を切る決断をした姿が浮き彫りにされてくるのです。わずかに「ので」と順接に訳すか、「が」と逆接に訳すかで、ここに大きな違いが生じるのです。ヨセフの苦悩は、今目の前にいる愛するマリア一人救い得ない自分の正しさとはいったい何なのか。律法の正しさが見えなくなり、それまで自分が信じて生きてきた土台が音をたてて崩れる。その中でヨセフは憐みの人、信仰の人としてぎりぎりの決断をするのです。これは後に姦淫の女を前にした時の主イエスと、同じ状況ではないか。ヨセフも主イエスもホセア書の「私が求めるのは憐みであって、いけにえではない。 」という言葉を思い出していたかもしれない。ヨセフは後に主イエスが「私もあなたを罰しない」という言葉の先駆けになっていると読むこともできる。

私達はクリスマスの物語の中で、ヨセフという人を付録のように扱ってはいないだろうか。マリアの命も御子イエスの命も、神の計画そのものも、一人ヨセフの決断にかかっていたことを覚えておくべきだと思います。

しかしヨセフはひそかにマリアを離縁することを決心したとはいえ、彼の心は揺れ動く。いずれマリアのお腹は大きくなり、周囲の人々の目につくようになる。当時の状況からして子を抱えたやもめが一人で生きていくことは、困難を極めることでしょう。旧約聖書には刈入れをした後の落穂は、残しておくようにという規定があるくらいです。ボアズの好意によりルツと姑ナオミは、沢山の落ち穂を拾うことができ、急場をしのぐことができたとルツ記に記されています。またヨセフに対してもマリアを孕ませた上で離縁した不誠実な男ということになる。いずれもヨセフが望むことではない。ヨセフは律法の正しさに不安を覚える。そしてマリアを生かす道、憐みの道を探った。

神様は時として私達に残酷ともいえるような事を命じられる。目の前に乗り越えるべくもない大きな山が立ちはだかる。いったいどうしてか。どうして自分なのか、何もかも投げ出したくなることがある。誰しもこういう体験が、一度や二度はあるものです。戸惑い、迷い、悩み、葛藤する。祈る以外に術はない。心が折れそうになっていたヨセフに、主の使いが夢に現れた。

「『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

「ダビデの子」が強調されています。バビロン捕囚、ギリシャのアレクサンダー大王、そしてローマ帝国に次々と支配され、蹂躙され、すでに国家の体をなさなくなっていたイスラエルにとって、残された希望はサウル王の後を継いで王となり、北のイスラエル、南のユダを統一し、北はレバノン山脈から、南部の砂漠地帯まで、ヨルダン川東西を幅広くその領土とし、外交、通商も活発になり、繁栄を極めたダビデ王の再来としてのメシア(救い主)を待ち望む以外になかった。それは主が預言者ナタンを通して、ダビデに約束したことでもありました。それは「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠る時、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者が私の名のために家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。 」それ故に「ダビデの子」なのです。

またここには何故イエスという名前がつけられたのかという理由が述べられています。イエスというのは旧約聖書のヘブル語ではヨシュア 、モーセの後を継いで約束の地に入った人です。出エジプトの完成者ということも出来ます。その人の名前がつけられ、「この子は自分の民を罪から救うことになるからである」つまり第二のモーセ(ヨシュア)として、イエス(ヨシュア)という名前がつけられたというのです。

またヨセフという名前もヤコブとラケルの間に生まれた子で、兄弟たちの妬みをかってエジプトへ売られていき、そこでファラオの夢を解き明かし、エジプトを飢饉から救い、ファラオの信認を受けて大臣に任命され、飢饉に苦しむヤコブ 一家の救出に決定的な役割を果たした人物です。創世記の物語と同じパターン(構図)が設定されています。是非このアドベントの季節に、創世記を読み直してみて下さい。

主の天使がヨセフにだけは、いつも夢で現れるのもうなずけます。ヨセフとは夢を解する人。ヨセフによって救われたイスラエルの家族が、モーセに率いられて、そのバトンを受け取ったヨシュアに導かれて約束の地に入るという構図がここにも出来上がっているのです。

「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる。」という意味である。

この引用句はイザヤ書7:14からの引用です。すでにご存じかもしれませんが、イザヤ書の「おとめ」は「アルマ―」というヘブル語で、必ずしも「処女」を意味しません。「若い女」「結婚適齢期の女」という意味です。「処女」を意味するヘブル語は別に「ベスラー」という言葉があるということです。ではマタイは何故処女を意味する「パルテノス」というギリシャ語をもちいたのでしょうか。

これは当時広く用いられていた七十人訳ギリシャ語聖書に原因があると言われています。イスラエルの民はバビロン捕囚の頃から世界各地に離散していきました。初代の人たちはヘブル語を解しても、代を重ねるごとに日常語がギリシャ語で、徐々にヘブル語を解することができなくなってきました。今日のテキストの23節の「インマヌエル」が「神は我々と共におられる。」と訳されているのも、ヘブル語を解さないユダヤ人たちへの配慮です。こういう人々のために紀元前2世紀から1世紀にかけて、ヘブル語聖書がギリシャ語に翻訳されました。この七十人訳聖書が広く用いられるようになっていました。この聖書でイザヤ書7:14の「アルマー(若い女)」は「パルテノス(処女)」という言葉に置き換えて訳されました。マタイが所属していた教会はアンテオケの教会であったと言われています。パウロやバルナバがここを拠点として、異邦人伝道 に出かけています。また困窮するエルサレム教会を助けたこと 、この地でキリスト者が初めて「クリスチャン 」と呼ばれたと使徒言行録は伝えています。ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第三の大都市であったことが報告されています。もちろんこの教会でも礼拝には、七十人訳聖書が用いられていました。マタイは処女降誕の信仰に立って、この七十人訳聖書から引用しているのです。

私たちは護教的立場に立って、これは間違いなく歴史的事実なのだと声を張り上げる必要はないし、またそんなことはあるはずがないと言って、距離を置くべきでもない。いずれも聖書の読み方としては、本筋をはずれています。これらの議論を踏まえた上で、神の御手が律法の人ヨセフに働き、憐みの人、信仰の人へと舵を切るヨセフの決断に向けて、強く、強く働いていたこと、そしてその同じ御手が私たち一人一人に向かって働いていることを深く心に刻み込むことこそアドベントの意味だと思うのです。

「ダビデの子ヨセフよ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」この言葉はヨセフに安堵と平安をもたらしたことでしょう。「インマヌエル、神我々と共におられる」という知らせを聞いたヨセフは、その不安と恐怖の中にくず折れそうになっているマリアをしっかりと引き受け、二人でイエスを生む決心をするのです。マリアはヨセフのこの決断に感謝したことでしょう。「何故だ」、「どうしてだ」「どうして自分が」という疑問に押しつぶされ、自暴自棄になるのではなく、その問いは横に置いといて自分の人生を受け入れ、自分の道を切り開こうとした時、神の御手が強く私たちに働きかけるのです。あきらめるのではなく、投げ出すのでもなく、今直面している問題を見据え、自分の進むべき道を切り開こうとしたこの二人こそ、博士たち、羊飼いたちに先んじて「神は我々と共におられる」というクリスマスの音信に感謝する者となったのです。あなたの罪は、失敗は、過ちは私が引き受けた。だから前を向いて進みなさい、というのです。私たちはいつまでも、汚れたおしめを取り換えてもらえないで泣いている赤子であってはならないというのです。

最後にマタイ福音書の最後を開いてみて下さい。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。 」

マタイ福音書はインマヌエルで始まり、インマヌエルで終わっています。私たちが神と共にではなく、神が私たちと共におられることを深く心に刻み、よき音づれに励まされながら、積極的に生きていく者でありたいと願うものです。

(2021年11月28日 待降節礼拝)

2021年11月21日日曜日

信仰を受け継ぐ(2021年11月21日 主日礼拝)

収穫感謝礼拝(2021年11月21日)
讃美歌21 358番 小羊をばほめたたえよ! 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「信仰を受け継ぐ」

サムエル記上16章5b~13節

関口 康

「サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼(ダビデ)に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。」

先週の説教の冒頭で申し上げたことを繰り返します。いま私が毎週の聖書箇所を決めるために用いている日本キリスト教団聖書日課『日毎の糧』で、クリスマスの前に旧約聖書を取り上げることになっていることには意味があります。

イエス・キリストのご降誕をお祝いするのがクリスマスです。イエス・キリストのご降誕には旧約聖書に示された神の約束が実現したという意味があります。その意味を明らかにするために、クリスマスの前に旧約聖書を学ぶことが大事です。

信仰の父アブラハムから始まるイスラエルの歴史の中で待ち望まれたキリストが本当に来てくださったと、十字架にかかって死に、三日目に復活されたナザレ人イエスと初めて出会った人々が信じました。イエス・キリストは苗字と名前ではありません。「旧約聖書に約束されたキリストがこのイエスである。このイエスこそあのキリストである」という関係をあらわす言葉です。

「イエス」は固有名詞です。「キリスト」はいわば肩書きであり、職務です。「キリストという仕事」があるという意味になります。そのことを具体的にあらわすために、イエスとキリストの間に中黒(・)ではなく、等号(=)を書く人がいます。新約聖書の中にも「イエス・キリスト」という語順だけでなく、「キリスト・イエス」と逆になっている箇所があります(ローマの信徒への手紙1章1節、テサロニケの信徒への手紙一2章14節、テトスへの手紙1章4節など)。

しかし、日本語の旧約聖書のどこを開いても「キリスト」は出てこないではないかと思われる方がおられるかもしれません。それは日本語の聖書だからです。「キリスト」はギリシア語ですが、旧約聖書はヘブライ語で書かれました。ヘブライ語の「メシア」(マーシアハ)のギリシア語訳が「キリスト」(クリストゥス)です。メシアは旧約聖書に登場します。「旧約聖書にはキリストは出てこない」という説明は間違いです。しっかり登場しています。

しかも旧約聖書に「メシア」はたくさん出てきます。たとえば、今日開いている聖書の箇所にまさに出てきます。旧約聖書の「メシア」の意味は「油を注がれる者」という意味です。この意味の「メシア」が「キリスト」です。言い方を換えれば、旧約聖書に「油を注がれる者」と記されている箇所のすべてを「キリスト」と訳しても間違いではないということです。

今日の箇所はサムエル記上16章です。何人かの人が登場しますが、この中で特に重要な人物はサムエル、サウル、ダビデ、エッサイの4人です。サムエルは預言者です。サウルはイスラエル王国の初代国王です。ダビデは第2代国王です。エッサイはダビデの父親であり、羊飼いです。

この4人の中に3人「キリスト」がいます。サムエルもサウルもダビデも「キリスト」です。それは、この3人は「油を注がれた者」(メシア)であるという意味です。この3人だけが「油を注がれる者」(メシア)であるという意味ではありません。旧約の時代には、預言者、王、祭司の3つの職務に就く人々の頭に油が注がれました。それらすべての人が「キリスト」です。

今日の箇所に記されているのは、預言者サムエルがイスラエル王国の初代国王のサウルに油を注いだけれども、サウルが職務を継続するのが不可能になったために、サウルを退け、サウルの代わりに新しい王としてダビデを選び、ダビデの頭に油を注いだ場面です。

最初に申し上げたとおり、イスラエル民族の歴史はアブラハムから始まりましたが、最初は遊牧民の一家族にすぎませんでした。しかし、神の約束の通り、空の星の数ほど、大地の砂粒の数ほど、数えきれない多くの子孫を与えられ、ついにひとつの国家を作ることになりました。

それで、預言者サムエルが王国としてのイスラエルを率いる初代国王になるサウルの頭に油を注ぎましたが、サムエルはイスラエルが王国になることに否定的でした。そのことがサムエル記上8章にはっきり記されています。ぜひじっくり読んでみていただきたいです。

サムエルはなぜイスラエルが王国になることに対して否定的だったかといえば、イスラエルは本来的に信仰共同体であるべきであるという認識をサムエルが持っていたからです。信仰共同体の勢力が増したからといって国家になり、政治の共同体になってしまうと、「神」を信じる信仰が、いつの間にか、強いリーダーシップと権力を持つ「人間」への信頼や期待に置き換えられ、それによって共同体の内実が変質してしまうからです。

教会も同じです。教会に集まる人々は、神への信仰を求めて集まります。しかし、教会の勢力が拡大してくると、強いリーダーシップや権力を持つ人が、おのずから登場する面があるのと、そのようなリーダーをみんなが要求しはじめる面もあり、教会の内実が変質します。神に従っているのか、強いリーダーに従っているのかが分からなくなってしまうのです。

しかし、イスラエルの人々の中から強いリーダーを求める声が強くなり、それに逆らうことができなくなったので、サムエルは王を選ぶことにし、初代の王としてサウルに油を注ぎました。サウルは最初の頃は良かったのですが、高齢になって晩節を汚す言動を繰り返すようになったので、サムエルがサウルに代わる2代目の王を探すことになりました。

それで、サムエルは羊飼いだったエッサイの子どもたちの中からダビデを選び、その頭に油を注ぎました。サウルは自分が職務から退けられ、自分の代わりにダビデが新しい王になることを知ったとき、嫉妬にかられて怒り、ダビデを殺そうとします。しかし、ダビデは、自分がサウルから殺されそうになったときも、その後も一貫してサウルに対する敬意を持ち続けました。

なぜダビデが自分のことを殺そうとまでする先代の王サウルに対して敬意を持ち続けることができたのかといえば、その理由がまさに「サウルは油を注がれた人だから」ということでした。そのことがはっきり記されているのがサムエル記上26章です。「主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない」(11節)とダビデが語っています。

ダビデはサウルの人間性やリーダーシップを尊敬したのではありません。その面には失望し、軽蔑すらしていたでしょう。しかし、ダビデは最後までサウルを尊敬しました。それがダビデにできたのは、サウルが「油を注がれた者」であること、つまり、神がなされた行為に対する畏れと信仰を最後まで重んじたからです。

教会も同じです。これからも教会の歴史は続いていくでしょう。それはいま生きている私たちの信仰を、次の世代の人々が受け継いでくれることを意味します。しかしそれは、今の私たちを尊敬してほしいと次の世代の人々に要求することとは違います。「私たち」でなく「神」を信じてほしいと願うだけです。その点が不明であれば次の世代の人々の中に不信感が生まれます。

(2021年11月21日 主日礼拝)

2021年11月14日日曜日

信仰と決断(2021年11月14日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 474番 わが身の望みは 奏楽・長井志保乃さん、字幕・富栄徳さん

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「信仰と決断」

創世記13章8~18節

関口 康

「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。」

先々週、先週、そして今日と、3回続けて旧約聖書の創世記を開いています。日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に従っています。

この時期に旧約聖書の学びをするのは、クリスマス礼拝が近づいていることと関係あります。新約聖書とキリスト教会の視点から言うと、わたしたちの救い主イエス・キリストがお生まれになったことには旧約聖書の神の約束が実現したという意味があるからです。

今日の箇所の登場人物も、先週と同じアブラハムです。「信仰の父」と呼ばれることがある存在です。イスラエル民族の初代族長です。アブラハムが旧約聖書で初めて登場するのは創世記11章27節です。

それはアブラハムの父の名がテラと言い、そのテラの系図の中にアブラハムの名前が出てくる箇所です。ただし、そこに記されているのは「アブラム」という名前です。「テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた」と書いてあるとおりです。

この「アブラム」がその後「アブラハム」と名前を変える場面も、創世記の中にしっかり記されています。17章5節に神さまの言葉として「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである」と書かれているとおりです。

この改名にはもちろん意味があります。「アブラム」という名前の意味は「偉大な父」であるのに対し、「アブラハム」の意味は「多くの民の父」です。

このアブラハムが「イスラエル民族の初代族長である」と先ほど言いましたが、「イスラエル」という呼び名はアブラハムの頃にはまだなく、この名前が登場するのは創世記32章29節です。アブラハムの孫の三代目族長ヤコブに(おそらく)神が「お前の名はもうヤコブではなく、これからイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」とお話しになったことに由来します。

しかし、だからといってイスラエル民族がヤコブから始まったわけではありません。初代族長はアブラハム、二代目はアブラハムの長男のイサクです。ヤコブは三代目です。このようなことはすべて創世記、ひいては旧約聖書の中に記されています。

しかし、イスラエル民族の最初の出発点のアブラハムは、まだアブラムだったころ、妻サライ(創世記17章15節以降は「サラ」と改名)、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、父テラと共に生活していたハランの地で加わった人々を連れて、カナン地方に向けて旅をはじめました。そのときは「民族」ではなく、ひとつの「家族」でした。

「アブラムはハランを出発したとき75歳であった」(創世記12章4節)とも書かれています。亡くなった年齢は「175歳」だったことが創世記25章7節で明らかにされています。今の私たちと同じ年齢の数え方なのかそうではないのかを判断する根拠を、私は勉強不足で知りませんが、「アブラハムは長寿を全うした」(創世記25章8節)とは書かれていますので、「長寿」であるという認識はあったと思われます。

しかし、しかし、と何度も話を引き戻さなくてはなりません。今日開いている箇所に記されているアブラハムの姿も、先週の箇所の彼の姿も、「偉大な父」あるいは「多くの民の父」になっていく前の、むしろ孤独で小さな存在であった頃の彼であるということを言わなくてはなりません。

そして、このようなことを学びながらわたしたちが考えるべきことは、教会のことです。聖書の時代の族長物語についての知識を得ることも大事です。しかし、単なる知識に終始するだけだと「だからどうした」という疑問がわいてきます。

むしろ大切なのは、アブラハム自身にせよ、その後のイスラエル民族のあり方にせよ、わたしたち自身の姿、教会の姿と重ね合わせて読んでいくことで、わたしたちのあり方、教会のあり方を考えることです。

アブラハムも最初は、実家を飛び出して、むしろ孤立した夫婦と甥と一緒に働く人だけだった。そこから一大民族になるまで相当の時間がかかったということを学ぶべきです。教会も同じです。教会の規模が小さい、人が少ないといろいろ言いたくなるのも分かりますが、規模が大きくなるまでに世代を重ねて行かなくてはなりません。

しかし、まだ今日の箇所である創世記13章に書かれていることには、触れていません。やっと前提の話をし終えたところです。今日の箇所に記されているのは、アブラハムとサラの夫婦と、甥のロトが別れて、その後は別の道を進むことにした、その決断の場面です。

なぜ別れることになったかは13章5節以下に記されています。「アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた」が、「その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた」など、その経緯が縷々明らかにされています。

このままの状態が続くとけんかになると考えたアブラハムがロトに提案したのが、別々の道を進んでいくことだったというわけです。「わたしたちは親類どうしだ。わたしたちとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」(9節)とアブラハムのほうから提案しました。

これが意味することは、アブラハムの側が譲歩したということです。右に行くか左に行くかの選択の優先権が私のほうにあるとアブラハムが主張せず、むしろロトの側に優先権を手渡したということです。こういうところにアブラハムの偉大さを私は感じます。

ロトが選んだのは、「ヨルダン川流域の低地一帯」で、「主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた」(10節)ほうでしたが、そちらに悪名高き滅びの町「ソドムとゴモラ」があったことが、後で分かります。

アブラハムに残されたのは、ヨルダンの低地と比較すると高く、牧畜に適さず、厳しい環境の「カナン地方」でした。そのカナン地方に数百年後、イスラエル王国が築かれます。

歴史の分かれ目に、そこに立ち会う人々の信仰と決断が問われます。決して悪い意味ではなく、むしろ大いに良い意味で「人の思いが働く」のです。人間が何もしないで手をこまねいたままで歴史が勝手に動くわけではありません。

教会も同じです。わたしたちの信仰と決断が、明日の教会、未来の教会を作り出すのです。

(2021年11月14日 主日礼拝)

2021年11月7日日曜日

神の民(2021年11月7日 教会創立69周年記念礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

オリジナル讃美歌「善き力にわれかこまれ」


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「神の民」

創世記15章1~15節

「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』」

今日は「昭島教会創立69周年記念礼拝」です。今日の週報に記しましたように、1952年11月2日に日本キリスト教団昭和町伝道所として最初の礼拝を守り、今年は数えて69年になります。

昭島教会50周年誌『み足のあと』(2002年)の「年表」によると、1952年11月2日の週報が「第1号」です。そして今日の週報が「第3593号」です。それは3593回の聖日礼拝が行われたことを意味します。最初の礼拝から今日まで69年間、石川献之助先生が昭島教会の伝道と牧会を続けて来られました。途中で一度隠退されましたが、協力牧師の立場にとどまられ、その後主任牧師に復帰されました。今年からは名誉牧師になられました。

ただし、今日の礼拝を含めた3593回の礼拝の中に、昨年(2020年)4月からたびたび出された緊急事態宣言との関係で「各自自宅礼拝」として行った回が含まれています。週報についても、合併号を作成して発行部数を少なくした時期もありますが、礼拝の回数は間違っていません。

しかし、『日本基督教団年鑑』では昭島教会の設立日は「1951年4月30日」であるとされています。そのとおりであれば、今年は創立70周年です。なぜこの違いが生じたのでしょうか。これも昭島教会50周年誌に答えがあります。教団年鑑記載の「1951年4月30日」は青梅教会の久山峯四郎牧師が兼務担任教師として昭和町伝道所の設立届を提出した日です。しかし教会員はゼロでした。だれもいないところに石川先生が招聘されました。そして最初の礼拝を行ったのが69年前の「1952年11月2日」ですので、その日が創立記念日であることに十分な理由があります。

この問題には「教会とは何か」という根本的な問いが含まれています。『み足のあと』によると、昭和町に阿佐ヶ谷教会員の石黒トヨ姉と淀橋教会の本多弥蔵兄がおられ、両家が集まる家庭集会で「この地に教会が与えられるように」と祈りがささげられていました。

また在日米軍横田基地で働いていた近藤駿兄が基地内教会で洗礼を受け、昭和町で街頭子ども会を開いていたのを基地内教会のチャプレンのハプソン氏が応援して、献金を集めて木造の教会堂を八清公園に建てて、日本キリスト教団東京教区に寄贈しました。それを教会にしようと考えた東京教区伝道委員会が、久山先生に伝道所設立届を出してもらったというわけです。

それが「教会」なのかというと、そうではありません。それがわたしたちの立場だと私は理解します。建物があるから、この地に教会が与えられるようにと祈っていた人々がいたから、伝道所設立届が教団に受理されたから、だから「教会」なのか。そうではありません。69年前の今日は石川先生が専任教職として赴任された日でもありません。最初の聖日礼拝が行われた日です。この「礼拝が行われた」という生きた事実が出発点であるという理解に立つことが重要です。

しかしまた、今申し上げた理解に立って「教会」をとらえることは、わたしたちにとっては、ある意味で厳しい問いと絶えず向き合っていることも意味します。なぜなら、あえて逆の考え方をすると、もし日曜日にだれも集まらず、「礼拝」を行うことができなくなったら、それが「教会」の終わりであることを意味せざるをえないからです。

そのような日が来ることはありえないとどうして言えるでしょう。牧師である者たちのみんながみんな同じではないかもしれませんが、教会の皆さんに対して失礼な言い方に違いなくて申し訳ありませんが、土曜日を迎えるたびに「明日の礼拝に、もしだれもいなかったらどうしよう」と悩む牧師は、たぶん少なくありません。私がどう思うかは言わないでおきます。内緒です。

石川先生は69年間、その問いと向き合ってこられたはずです。私も牧師の末席を汚す者として、どれほどのプレッシャーであるかを知らずにはいません。私の言動のせいで、あの人もこの人もつまずいて礼拝に来られなくなってしまった、と悔いる思いは、私にもあります。

しかし、今申し上げたことは、言わないほうがよかったもしれないと、言ったそばから悔いています。これはやはり、教会の皆さんに対して失礼な言い方です。まるで牧師がひとりで教会を切り盛りしているかのようです。それは甚だしい誤解です。牧師ひとりでは何もできません。

今日は「昭島教会の」69歳の誕生日です。それは、教会の皆さんの汗と涙の歴史を思い起こし、それでも教会は生きていること、そして、生きた礼拝が今日まで続けられてきたし、これからも続けられていくであろうことを喜び、感謝し、お祝いする日であることを意味します。

それはまた、別の観点から言い直せば、昭島教会に連なるわたしたちひとりひとりの「信仰」の問題であると言えます。わたしたちに問われているのは、今日朗読した聖書の箇所に登場するアブラハムが神から問われた「信仰」と本質的に同じです。

アブラハムはイスラエル民族の初代族長です。アブラハムは生まれ故郷を離れ、妻サラと共に旅人になります。生まれ故郷は異教の神々が礼拝される異教の地でした。そこから飛び出して、真の神を信じる信仰を求めるために旅を出かけたとも言われます。

そのアブラハムに神さまが「あなたを大いなる国民にする」(創世記12章2節)という約束をしてくださいました。その約束の意味は、多くの子孫を与えるということでした。

しかし、その約束を示されてから何年経ってもアブラハムと妻サラとの間に子どもが与えられませんでした。神の約束を疑う思いを抱いた日が全く無かったわけではありません。その疑いの言葉が今日の箇所にも記されています。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません」(2節)。あの約束は嘘だったのですかと。

アブラハムに神が改めて約束してくださいました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」(5節)。この約束をアブラハムは信じ、その信仰を神さまが「彼の義と認められた」(6節)と記されています。

アブラハムが生きていた時代は紀元前2000年頃だと考えられています。今から4000年前です。そう考えると途方も無い昔の話に思えます。しかし、そのアブラハムのことを今から2000年前の使徒パウロがローマの信徒への手紙の4章で大きく取り上げています。特に「アブラハムの子孫」の意味は、彼の血縁関係にあるユダヤ人だけでなく、「信仰を受け継ぐ者」のことであり、イエス・キリストへの信仰を持つ「わたしたち」のことだと書いています。

その線で言えば、今日のわたしたち「教会」は「アブラハムの子孫」です。わたしたちが週末を迎えるたびに「明日の礼拝にひとりもいなかったらどうしよう」と悩む思いと、アブラハムが神の約束を疑った思いは本質的に同じだということです。だとしたら、わたしたちもアブラハムのように、星の数ほど多くの人と共に礼拝をささげる日が訪れることを信じようではありませんか。先週の永眠者記念礼拝で覚えた132名の信仰の先達がたは、昭島教会の星です。もっと多くの、さらに多くの星を見上げながら、昭島教会の歴史をこれからも築いて行こうではありませんか。

(2021年11月7日 昭島教会創立69周年記念礼拝)