2021年12月26日日曜日

救い主を探し求めて(2021年12月26日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

 
旧讃美歌100番 いけるものすべて(1、2節) 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん
マタイによる福音書2章1~12節

昭島教会 秋場治憲兄

「来たれ、父に祝福されたる者よ、世のはじめからあなたがたのために備えられた王国をつげ」マタイ25章34節)

 今日の聖書の箇所は東から来た博士達が星に導かれて、飼い葉おけに寝かされている主イエスの所までたどり着き、ひれ伏して拝し、黄金、乳香、没薬を捧げたというお話です。教会学校のページェントで「遠くの東から ラクダにまたがって 旅する博士 ようやくユダヤの地 みそらに輝いた 星の光の 不思議な導きで うれしい しらせ もつやく にゅうこうと黄金(こがね)の宝物 主イエスにささげ 祝いのしるしです」と子供たちが大きな声で歌います。ページェントが終わってしばらくは、このメロディーが頭から離れません。子供たちの言葉と共に蘇ってきます。とてもメルヘンチックで絵画的で、アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯(じゅうたん)が出てきても違和感がないようなお話です。ただこのおとぎ話のような物語もよく読むと、実に深い、味わいのある出来事に満ちていて、私達をしばしこのテキストに釘付けにして離さない力強さがあります。詳しく見ていきたいと思います。

 まず私達を驚かせるのは神の子の誕生を祝ったのは、選ばれた民イスラエルの宗教指導者達ではなくエルサレムの神殿の再建に巨費を投じたヘロデ大王でもなく、遠く離れた東の国からやってきた博士達だったということです。新共同訳聖書では「占星術の学者たち」と訳されていますが、当時天体をみることは決して特殊なことではなく、知者、賢者と呼ばれる人たちの共通の知識であったようです。天文学だけではなく、医学、思想なども含めて広く生活全般にわたって豊かな知識を有していたようです。従って必ずしも占星術に限る必要はなく、口語訳の「博士たち」という訳語が妥当性を欠いているとも思えません。むしろ現代においては「占星術」というと何か得体のしれない、いかがわしさが感じられる部分もありますので、個人的には口語訳の「博士たち」がいいように思います。

 遠くの東の国というと連想されるのはチグリス、ユーフラテス川流域あたりでしょうか。ユダヤの東に広がる異邦の国々全体を指しているのだと思います。その地方の博士たちが「ユダヤ人の王」の誕生を知らせる星を観測したというのです。そもそもユダヤから遠く離れた東の国の博士たちが、どうしてユダヤ人の王の誕生を知るに至ったのでしょうか。考えられるのは、北王国イスラエルは紀元前721年に、アッシリア[1]によって滅ぼされイスラエルの民はアッシリアに連れて行かれました。そして多くの異邦人たちがイスラエルに移住してきました。また紀元前586年にはエルサレムがバビロンによって滅ぼされ、南王国ユダの民はユーフラテス川流域でペルシャ湾に近く、アッシリアの首都ニネベよりも更に下流のバビロンへ連れて行かれます。この捕囚は70年に及びます。この間にイスラエルの民は世界四大文明の一つメソポタミヤ文明発祥の地において、多くを学びました。それはこれから編纂される旧約聖書にも反映されていきます。同時にイスラエルの民は世界各地に離散していきます。ユダヤ人が離散していった土地で多くを学んだように、その土地の人々もユダヤ人の信仰について学ぶ機会となりました。国家としての体をなさなくなったイスラエルの民のメシア待望は、益々強くなっていったことでしょう。これは当然東から来た博士達がメシア待望について知る機会にもなったと思われます。

バビロン捕囚はイスラエルの民にとっては悲劇でしかなく、何の望みもなくなってしまった時に、一人エレミヤがこの捕囚は長期にわたるが必ず終わりが来る。だからあなたがたは、決してその数を減らしてはならない、希望をもてと引かれていく人々に語りかけています。信仰とは望みえない時に、なお信じること。横道に反れますが、神がアブラハムを外に連れ出し、天を仰がしめて、「あなたの子孫はこのようになる。[2]」と言われた。「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」しかしアブラハムはすぐに、印を求めるのです。「わが神、主よ。この土地を私が継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」とその約束のしるしを求めています。主はそれを不信仰だと言って退けず、「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とを私のもとに持ってきなさい。[3]」と命じ、(アブラハムは)鳥以外の動物を真っ二つに切り裂いた。そしてそれぞれを向かい合わせに置いた。イスラエルの行く末が語られた後、「日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明[4]が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。その日、主はアブラハムと契約を結んで言われた。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、・・・・の土地を与える。」これは約束を破った時は、これら切り裂かれた動物のようになるということでした。ここではヤーウエのみが一方的に契約を守る保証をされたのです。アブラハムとの契約は、神の一方的な契約でした。信じられないでいるアブラハムへの、神の方からの一方的な真実の保証でした。

バビロン捕囚という暗く、何ら望みなき状況において、神は異邦人への宣教という足掛かりをつくっていったということもできます。またギリシャのアレクサンダー大王がエジプト、イスラエルを含んで遠くインドとの国境線までという大帝国を築き、コイネー(共通語)と呼ばれるギリシャ語を普及させたことも福音が世界に伝えられるのに大きな役割を果たしたということができます。新約聖書に信仰をもった多くの異邦人が登場してくるのも、離散したユダヤ人たちから学んだものと思われます。主イエスの時代にはローマ帝国内のかなり広い地域に、ユダヤ人のメシア待望思想が行きわたっていたとのことです。ルカ福音書3:15には「民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。」とあります。また前頁の注1で上げた「ギリシャ生まれのシリア・フェニキアの女」の信仰が、マタイ福音書では主イエスが「女よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。[5]」と賞賛しています。またマタイ福音書8:5以下には主イエスがローマの百人隊長の信仰を賞賛した記事が掲載されています。これらのことを考え合わせると、遠く東の国の博士たちが不思議な星の導きでエルサレムまでやってきたことも、全く根拠のないおとぎ話と切り捨ててしまうのではなく、そこに盛られている使信に耳を傾けるべきものだと思います。

 マタイ福音書に戻りますが、「ユダヤ人の王」と聞いて、ヘロデ大王[6]は不安になります。なぜなら彼はローマ帝国の皇帝アウグストから「ユダヤ人の王」という称号を与えられていたからです。また「東方でその方の星を見た」ということもさらにヘロデ大王を不安に陥れたことと思われます。そしてその不安は一人ヘロデ大王だけのものではなく、「エルサレムの人々も皆、同様であった。」とマタイは記しています。ヘロデ大王が不安になったのは分かりますが、どうして「エルサレムの人々」が不安にかられたのか私の長い間の疑問でした。最近になってこれは「東方で」という言葉にその疑問を解く鍵があるのではないだろうかと思うようになりました。「東方」というのは、チグリス・ユーフラテス川流域の国々が思い起こされますが、ペンテコステ(過ぎ越しの祭り)に集まってきていたこの流域の人々は、パルティア、メディア、エラム、メソポタミヤからの人々でした。そしてこれらの国々はローマに次いで強力な国々でした。猜疑心の強いヘロデ大王の頭の中では、この東の国々と新しい「ユダヤ人の王」が結びつき、自分の地位を脅かす存在になるのではないかと危機感を持ったことでしょう。そうすればまた戦争が始まります。現状はローマの支配下にはあるが、一応平和な世となりエルサレムの人々もパックス・ロマーナ(Pax Romana ローマの平和)を享受できていました。あらたな「ユダヤ人の王」の誕生は、新たな戦争の火種になるのではないか、と思われたのではないでしょうか。

そしてヘロデ大王はこの子を抹殺しなければならないという思いを実行に移すために、彼はまず国中の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシア誕生の地はどこかと問いただします。さすがにヘロデ大王です。命令一下、即座に国中の「祭司長や律法学者たちを皆集め」た、というのですから、その権力が如何に大きなものだったか、また世の知者たちが何はさておいても即座に馳せ参じたというのですから、その大きさが偲ばれます。また集められた祭司長、律法学者たちは即座に、それは「ユダヤのベツレヘムです。」と答えたようです。「ユダの地、ベツレヘムよ、 お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、私の民イスラエルの牧者となるからである。」というミカ書5:1の言葉を引用して答えています。しかしこれはミカ書からの忠実な引用ではありません。マタイ福音書では「ユダの地、ベツレヘムよ」となっていますが、これはミカ書では「エフラタのベツレヘムよ」となっていて、「ユダの地」という言葉はどこにもありません。エフラタというのは、ベツレヘムの元々の地名でベツレヘムの別名です。創世記48章7節にはヤコブがその妻ラケルを葬った時の話が出ています。「私はパダンから帰る途中、ラケルに死なれてしまった。あれはカナン地方でエフラトまで行くには、まだかなりの道のりがある途中でのことだった。私はラケルを、エフラト(エフラタ 口語訳)、つまり今のベツレヘムへ向かう道のほとりに葬った。」と記されています。ではマタイはどうしてベツレヘムの別名でしかないエフラトを「ユダの地」と変えてしまったのでしょうか。このミカ書の言葉をそのまま引用したなら、メシアを宿すという栄誉はベツレヘムのみに限定されてしまいます。これを読むユダヤ人達にとって、エルサレムは依然として自分たちの信仰の総本山です。マタイが南王国ユダ、そしてエルサレムとユダヤ人達に配慮したからだとも言われています。 

集められた祭司長たち、律法学者たちが引用したミカ書をみてみましょう。ミカ書5:1では「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。 お前の中から、私のために イスラエルを治める者がでる。」となっています。マタイは「エフラタ」を「ユダの地」と変更しただけではなく、ミカ書では「いと小さき者(である)」という言葉を「いちばん小さいものではない」と変更しています。この小さいという言葉は私達にも馴染みのあるミクロスという形容詞の最上級が使われています。英語ではlittleリトル の最上級least(リースト)が用いられています。そしてその直前に最も小さい者(いちばん小さいもの)、とるに足らない者ではないととても強い否定語[7]が置かれています。そして私はここにマタイの信仰があり、クリスマスのメッセージがあるのではないかと思うのです。

マタイはミカ書では並列に並べられているだけの言葉を「なぜなら~から」という接続詞でつないで記しています。「ユダの地、ベツレヘムよ、 お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。(なぜなら)お前から指導者が現れ、私の民イスラエルの牧者となるからである[8]つまり現実にはベツレヘムは弱く、極めて小さき者であるけれども、お前からイスラエル全体を治める牧者がお生まれになるのだから、お前は決していと小さき者ではないというのです。エルサレムに勝るとも劣らない町になるというのです。しかしそれはベツレヘム自身の力によるものではなく、この指導者(牧者)によることなのだというのです。これは私達は自分の真実によって真実な者とされるのではなく、神の真実(御子の真実)によって真実な者とされるということです。自分の真実に信頼する者は、砂の上に家を建てた者に譬えられ、神の真実によって真実な者とされた者は、岩の上に家を建てた者に譬えられています[9] 

 このことは私たち自身に置き換えることができます。私たちは罪にまみれており、常に自分の喜びや利益が最優先である者です。十戒の第1戒においてつまずくものです。しかしこの私達の世界に「ご自身を喜ばせることをしなかった方[10]」が来られたというのです。十字架の死に至るまでその従順を貫かれた方が、ベツレヘムの馬小屋でお生まれになった、と聖書は静かに、そして高らかに告げているのです。なぜならこの方の従順の衣が、我らに着せられ、その純白の衣によって我らは傷なき者、全き者として神に迎えられるというのです。クリスマスとはこの神の真実が、布にくるまれた幼子として私達にプレゼントとして贈られた日なのです。しかもそれは無代価で、恵みとして与えられたというのです。だからハレルヤ、ハレルヤなのです。更にその真実は、世の終わりまであなた方と共にあって、あなた方から離れることはないというのです[11]

我らが神と共にいるからではなく、神が我らと共にいるというのです。

 詩編32篇1節に

    いかに幸いなことでしょう

    背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。

    いかに幸いなことでしょう

    主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。

 この幸いな者とは他ならぬダビデであり、私達のことです。クリスマスの夜、寒風吹き抜ける馬小屋で、この神の真実が、私達の罪を咎を背きを赦し、覆って、私達を全き者、傷なき者となし、御国に迎えられるというのです。

 「来たれ、父に祝福された者よ、世の初めからあなた方のために備えられた王国を継げ」(マタイ福音書25:34)

 神の国は備えられつつあるのではなく、既に備えられているのです。私達が

御国に値する者になるのではなく、神の国が私達に値するものとして私達のも

とに届けられたのです。神の国は私達資格なき者、否、まず処罰にこそ値すべ

き者に好意を向けたもう父なる神の憐憫によって、無代価で提供されているの

です。

 それにしても神は驚くべきお方です。ヘロデ王の権力をさえ利用して、博士達に御子のところへ向かう道をしめされたのです。もっと正確に言うなら、御子を殺害しようとするヘロデの殺意をさえ利用して、国中の祭司長、律法学者たちを集めさせ、その道を博士達にしめされたのです。これは驚きです。敵陣深く迷い込んだ博士たちを、その敵の悪意を利用して、救い出したのです。ただに救い出しただけではなく、御子のもとへと導かれたというのですから、我らの思いをはるかに超えています。私たちは自分の置かれている状況が、わずかに暗転しただけで右往左往してしまいますが、「恐れるな、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。[12]」という言葉に身の引き締まる思いが致します。

そしてヘロデ大王は、ひそかに博士達を呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう。」とその狡猾ぶりを聖書は伝えています。この「ひそかに」という言葉は、誰に対して「ひそかに」なんでしょうか。これは自分の側近たち、国中から集めた祭司長たち、律法学者たちに対してもという意味です。「ユダヤ人の王」として生まれた者を殺害しようという意図を、自分の側近たちにも知られないようにするためです。ヘロデ王も彼の側近たちもユダヤ人です。皆ダビデ王の再来としてのメシアを待ち望んでいたはずです。しかしヘロデ王にとっては、それは自分の地位を危うくする者以外の何物でもなかったのです。そして博士たちに「星の現れた時について詳しく聞き」(口語訳)、「星の現れた時期を確かめた」(新共同訳)のです。ヘロデは自分の地位を危うくする「ユダヤ人の王」を殺害するために、着々と準備を進めているのです。そのために必要な情報を聞き出したヘロデ王は、その博士たちをベツレヘムに向けて送り出します。ヘロデ王の宮殿を出るとかつて自分たちを導いてきた星が、更に輝きを増して彼らを導きました。彼らの心は喜びに満たされ、足取りも軽く御子のもとへとたどり着きました。私は博士たちは驚いたと思います。ユダヤ人の王は宮殿ではなく、寒風吹き抜ける馬小屋で、温かい羽毛布団ではなく、粗末な布にくるまれて飼い葉おけの中でワラを寝床としてお生まれになっていた。博士たちがこの落差を埋めるのにどれくらいの時を必要としたのかについては、聖書は触れていません。いずれにしても博士たちはこの幼子にひれ伏し、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。どれも非常に高価なものです。

 古来、これらの贈り物が何を意味しているのか議論されてきました。黄金は王を、乳香は苦難に満ちたその生涯によき香りを献げるもの、没薬はその葬りのためまた薬とも言われています。これらはいずれも耳を傾けるに値するものですが、私はその直前にある「自分達の」という言葉に注目したい。この言葉は日本語訳には訳出されていませんが、英語でも訳出されています。

Opening their treasures`直訳すれば、「彼らは(それぞれ)自分達の宝の箱を開けて」となります。黄金、乳香、没薬、いずれも非常に高価なもの、自分にとって掛け替えのないものを献げたと読むこともできる。これら自分にとっての宝物を献げて、その前に膝づく時、この幼子を自分の主として受け入れることになる。信仰を持つということは、私自身における《主権の交代》なのです。それまで自分が自分の王であり、支配者であり、主権者であったのが、この幼子を王として、支配者として、主権者として受け入れるということであり、この幼子を王として拝する時、それまで自分を支配してきていた一切の支配から、この世の様々な霊力から解放される。聖書には「あなた方の宝のあるところに、あなた方の心もあるからである。[13]」と言われている通りです。

  それにしてもヘロデ王、祭司長達、律法学者達、そしてエルサレムの住人達の誰一人として、この博士達と共にベツレヘムへ向かった者はいなかったのです。聖書は彼らの心の内については何も伝えていません。ルカ福音書の羊飼い達が「さあ、ベツレヘム行こう。主が知らせて下さったその出来事を見てこようではないか。」そして彼らは駆け出した、というのと対照的です。ヘロデ王にも、祭司長達にも、律法学者達にもメシア誕生の知らせは真っ先に知らされたのです。しかし自分の義で満ち満ちている彼らには、届かなかったのです。

「私が来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」「健康な者に医者はいらない。いるのは病人である。」彼らは自分自身に対する主権を手放そうとはしなかったのです。

  こう考えてくると私達が様々な困難に出会い、自分の無力を思い知らされ、その罪深さを悟らされたことは、私達のうちに神が座すべき場所をあけることではなかったか。自分の中に誇るべき何物もないということを知らされたということは、何という祝福であったことかということに思い至るのです。それらの出来事は、神が我らを見捨てたからではなく、《まことの王》が私達の内にその座を占めるためであった。そしてこの《まことの王》は、本来彼が座すべき場所に我らを座らせ、我らが行くべき道を代わって歩まれたのです。

  黄金、乳香、没薬は確かに博士達が主イエスに捧げたもの、しかしこれは同時に主イエスがそれらの贈り物を受け入れられたということ。私達が自分の人生を振り返って見たとき、一体何をしてきたのだろうかと思わされることがある。家族のために一生懸命働いてきた。子供を育てることに精一杯だった。とりたてて誇るべきものは何もない。暗澹たる想いに支配されることがある。それでもその都度、私達は夜空に輝く星を探しながら、祈りながら歩んできた。この方は我らの目には見るべきものもない人生を、黄金の旅路として、神に対してよき香りをささげるものとして受け入れられたということなのだと思います。なぜならただそのことの為に、神はこの幼子を私達のもとへと遣わされたからです。

 一年の終わりに東方からの博士達の旅路に思いを馳せ、「背きを赦され、罪を覆っていただいた者」の幸いを感謝しつつ、新しい年を迎えたいと思います。


[1] アッシリアのサルゴンⅡ世はサマリヤに外国人を移住させ、ここにイスラエル人と異教徒との雑婚が始まりました。(列王記下17:24)更にアレクサンダー大王はB.C.332マケドニヤ人をサマリヤに植民させました。新約聖書のマルコ福音書7:24~30にツロ・フェニキアの女の話が出てきます。新共同訳は「女はギリシャ人でシリア・フェニキアの生まれであった。」と伝えています。この記事の平行記事はマタイ福音書15:21~28にもあります。これらの記事は多くの人々が移住してきており、また彼らがユダヤ人の信仰についてもよく知っていたということを物語っています。

[2] 創世記15:5~6 創世記13章にロトと別れた後にも神はアブラハムに現れ、同様のことを語っていますが、15章は「空の星のように」であるのに13章では「大地の砂粒のように」となっています。これは写本が異なるによることです。

[3] 創世記1:9以下

[4]「煙を吐く炉と燃える松明」はヤーウエの顕現と臨在の象徴です。

[5] 口語訳聖書では「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように。」と主イエスの驚きをもって「オー女よ」と語られています。こういうニュアンスは是非訳出したいものです。

[6] 彼はユダヤ人ではありましたが、ダビデの家系ではありませんでした。サムエル記下7:11、12節に主ご自身が預言者ナタンを通してダビデに約束した言葉が記されています。「主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者が私の名のために家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」つまりヘロデ大王は正当な後継者とは見なされていませんでした。

[7] 英語(RSV)ではby no meansという言葉が用いられています。口語訳では「断じてそうではない」新共同訳では「決してそうではない」と訳されています。ローマ書3:6、31参照。

[8] RSVand you , O Bethlehem, in the land of Judah, are by no means least among the rulers of judah ; for from you shall come a ruler who will govern my people  Israel

[9] マタイ福音書7:24~27

[10] ローマ人への手紙15:3

[11] マタイ福音書の最終行28:20

[12] マタイ福音書28:20 マタイ福音書の最後の言葉です。マタイ福音書は最初から最後までインマヌエル(神、我らと共にいます)というテーマで貫かれています。

[13] マタイ福音書6:21 for where your treasure is , there will be your heart be also.

2021年12月24日金曜日

クリスマスの平和(2021年12月24日 イブ礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

ルカによる福音書2章1~7節

関口 康

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」

クリスマスおめでとうございます。クリスマスイブ音楽礼拝にお集まりいただき、ありがとうございます。

昨年は行うことができませんでした。今年はこんなに大勢の方々がご出席くださり、本当にうれしく思います。

私は今年、昭島教会の牧師をしながら、3つの学校で聖書を教えています。どうもその悪影響が出ているようです。教会の方から「最近の関口先生の説教は聖書の知識についての話ばかりで、まるで学校の先生のようです」というご指摘がありました。学校に染まりすぎかもしれません。

しかし、今日もお許しください。今日の箇所に登場する「皇帝アウグストゥス」とは何者なのかの説明から話を始めます。歴史的な説明を避けることができません。

ジュリアス・シーザーの名前は、ご存じでしょうか。シェークスピアの劇で、暗殺されるとき「ブルータス、お前もか」と叫ぶ人。あのシーザー(ユリウス・カエサル)の後継者がアウグストゥスです。

シーザーまでのローマは共和制でした。まだ比較的みんなで相談して決める政治の形が残っていました。しかしシーザーが独裁者になって暴走しはじめたので、それを食い止めるためにブルータスたちによって暗殺されました。それは悲劇でした。

しかし、そのシーザーの後継者がアウグストゥスです。アウグストゥスはシーザー以上の独裁者になりました。地中海沿岸のほとんどの地域を強大な軍事力で制圧し、支配しました。

ところが、その独裁者とは真逆の姿で真の救い主がお生まれになったというのが、今夜の箇所の主旨です。「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た」(1節)のは、ローマ帝国に税金を納める人の人数を調べるためです。

それでやむをえず、イエスさまがお腹にいる母マリアと夫ヨセフが、その住民登録のために遠くまで旅をしなければなりませんでした。強いられた感、やらされている感の中で、ひきずりまわされ、ひどく辛い目に遭わされました。

しかし、同じ目的で移動中の宿泊者が多く、宿屋に空き部屋が無かったので、なんと惨めなことに、家畜小屋で出産となり、なんと見すぼらしい飼い葉桶の中に生まれたばかりのイエスさまを寝かさざるをえなかった、という話です。

しかし、今日お話ししたいのはもう少し先のことです。実は今夜開いているルカによる福音書と、もうひとつ新約聖書の使徒言行録という書物は、同じ著者が書いたものです。そして、使徒言行録の最後に書かれているのは、使徒パウロがローマ帝国の首都ローマにたどり着き…イエス・キリストについて教え続けた(使徒言行録28章31節)事実です。

つまり、ルカによる福音書と使徒言行録の2冊の書物を書いた人は、イエスさまがお生まれになった時代のローマのひどい独裁者のせいでイエスさまも含めた多くの人々がひどい目にあった事実から書きはじめて、使徒パウロがローマでイエス・キリストの福音を宣べ伝えはじめるまでのすべてを関連付けて考えたうえで、今日の箇所の出来事についても書いていると言えます。

これで私が何を言いたいか。今夜はクリスマスイブです。クリスマスにおいてわたしたちが、イエスさまがお生まれになったことをお祝いするのも大事です。しかし、「イエスさまがお生まれになった」で話が終わらないことが大事です。

真の救い主としてイエスさまがお生まれになったことを信じて受け入れ、イエスさまの教えと生きざまに倣って生きて来た「教会」が世界中に生まれたことこそが、イエスさまの存在に匹敵するほど大事である、ということです。

クリスマスが12月25日であるのは、イエスさまが「12月25日生まれ」であるということではありません。詳しい説明はやめますが、今から1600年ほど前に、イエスさまのお誕生をお祝いする日を「12月25日」にしましょうと決めただけです。そしてそれ以来、毎年教会でクリスマスが祝われるようになりました。それをしたのは「教会」です。

今日お話ししたいのは「教会なしにクリスマスはない」(No Church No Christmas)ということです。今では世界中でクリスマスが祝われています。しかし「教会のことが忘れられていませんか」と思うことが多いです。

「教会、教会」としつこく言いますと、クリスマスイブ音楽礼拝の楽しい時間を台無しにしてしまいますので、これでやめます。

しかし、「教会」を忘れないでいただきたいです。もし可能でしたら、日曜日に教会に通ってください。昭島教会が遠い方は近所の教会に通ってください。ぜひよろしくお願いいたします。

(2021年12月24日、クリスマスイブ音楽礼拝)


2021年12月19日日曜日

キリストの降誕(2021年12月19日 クリスマス礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
クリスマス讃美歌メドレー 奏楽・長井志保乃さん 字幕:富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3599号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「キリストの降誕」

ルカによる福音書2章8~20節

関口 康

「天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

クリスマスおめでとうございます。

昭島教会の2021年度のクリスマス礼拝です。クリスマスは世界の大多数の教会で12月25日がそれだとされています。そして12月25日に近い日曜日にクリスマス礼拝をするのが日本の多くの教会が採っている形です。

「大多数が」と言いましたのは例外があるからです。今はインターネットで何でもすぐ調べることができます。アルメニアという国では、1月6日がクリスマスだそうです。クリスマス礼拝を日曜日にすることも、教会によって考え方が違うので、例外なく、おしなべて、世界共通の、という言い方をしないほうがよいです。

昭島教会のことを申し上げます。11月7日に「昭島教会創立69周年記念礼拝」を行いました。つまり、今日は昭島教会の「第69回」クリスマス礼拝です。来年は「第70回」です。

今日の週報の通し番号が「第3599号」です。この番号は昭島教会の聖日礼拝の回数を表しています。今日は昭島教会の3599回目の礼拝であり、来週は3600回目の礼拝です。「3600」を一年の日曜日の回数の「52」で割ると「69.2307…」です。

その間、石川献之助先生が今日に至るまで昭島教会の牧師を続けてこられたことは、みなさんのほうがご存じです。しかし、牧師がひとりでいることが礼拝ではないし、教会でもありません。教会のみなさんが教会であり、みんなで集まることが礼拝です。来週3600回目の聖日礼拝を行う昭島教会の69年の歩みの中で、牧師以外だれもいない礼拝が行われたことはないことを意味していると思います。これは本当に素晴らしいことです。

昭島教会の話をしているのに私の話をするのは場違いですが、来週12月26日の日曜日が私の受洗記念日です。ちょうど50年前の1971年12月26日も日曜日だったのですが、日本キリスト教団岡山聖心教会のクリスマス礼拝の中で私の洗礼式が行われました。

50年前は私は小学校に入学する前で、岡山聖心教会の附属幼稚園の年長組に属する6歳だったのですが、はっきり言わせていただきたいのですが、だれから勧められたわけでもなく、明確な自分の意志で「洗礼を受けたい」と志願して、洗礼を授けていただきました。

その日から来週で50年です。自分で志願しましたので、責任があります。50年、風邪を引いたとき以外は聖日礼拝を休んだことがありません。1年52回の日曜日を50年で掛けると2600回の礼拝です。昭島教会より1000回足りませんが、今年56歳の私が50年、礼拝に通ってきました。

いばっているのではなく、教会とはそういうものだと申し上げたいのです。1回1回の礼拝は地味な営みです。私は50年、昭島教会は70年、石川先生は94年、続けてきたその中で得られるものがあったかもしれない、なかったかもしれないという程度です。「なかったかもしれない」は余計ですが、自分では分からないという意味です。子どものころ、自分の身長が伸びたことを、周囲の人から「大きくなった」と言われて初めて自覚するのに似ています。

今日の聖書の箇所とは関係ない話をしているつもりはありません。先週イザヤ書40章についてお話ししたこととも関係あります。イザヤ書40章は紀元前6世紀にユダヤ人の国が新バビロニア帝国によって滅ぼされ、3千人とも1万人とも言われるユダヤ人がバビロニアの首都バビロンに連行された「バビロン捕囚」という歴史的事件と関係あると申し上げました。イザヤ書40章には、約70年の捕囚から解放されたユダヤ人がパレスチナに帰還する状況が描かれています。

ユダヤ人たちがパレスチナに戻れたのは、彼らを支配していたバビロニアをペルシアが倒したからですが、彼らが独立したわけでなくペルシアの支配下に移されただけです。その後ペルシアをギリシアのアレクサンダーが滅ぼし、ギリシアからシリアがパレスチナを奪い、さらにシリアからローマへとパレスチナの支配権が移っていきます。

イエス・キリストがお生まれになったのは、ユダヤ人がローマ帝国に支配されていた頃です。「バビロン捕囚」言い換えれば「敗戦と国家滅亡」から数えて500年の時間が経過しています。ユダヤ人の願いは、もう一度自分たちの独立国家を立て直すことでした。彼らが待ち望んでいた「救い主」は、自分たちの国を取り戻してくれる強い政治的指導者でした。

しかし、大切なことは、ユダヤ人の願いが叶うかどうかではなく、神が何を願っておられるかです。神の御心は何かです。ベツレヘムの羊飼いたちに天使が告げた神の御心は「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるだろう。これがあなたがたへのしるしである」(11~12節)というものでした。

この意味は、「ダビデの町で生まれる救い主」は、小さく弱く貧しく目立たない姿でお生まれになった、ということです。強力な政治的指導者になって強大な権力と軍事力を手に入れてローマ帝国だろうとどこだろうと戦争を仕掛けて勝利して、国土を取り戻し、500年前に失った自分たちの独立国家を立て直す、そのような存在が生まれることが神の御心ではない、ということです。

そうではなく、小さく弱く貧しく目立たない、社会の中で無きものと同然の扱いを受けているような人々と共に生き、助け、慰めてくださる存在。その方こそ「救い主」であり、そのような方がお生まれになったことこそが、神の御心である、ということです。

なぜこの話と、昭島教会の話や、私の話が関係あるか。教会の歩み、クリスチャンの歩みは、イエスさまがそうであると言われているように、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かされるような小さく弱く貧しく目立たない存在であるし、そうであってよいのです。

礼拝を何千回続けようと、社会に影響があるわけでなし、有名人になれるわけでなし、どこにメリットがあるか分からないと言われれば、そのとおりです。しかし、イエスさまがそういう方だったのですから、わたしたちの心がくじけたり、折れたりすることはありません。

地味で地道な歩みのほうが長続きします。若者のために、教会の活性化のために、というような理由で大騒ぎしたり興奮したりする要素が礼拝に求められることがありますが、息切れします。

ベツレヘムの羊飼いたちが、イエスさまを囲んでささげた最初のクリスマス礼拝は動物たちの鳴き声が聞こえていただけです。この教会の牧師館で初めて朝を迎えたとき、幼稚園のにわとりがコケコッコと鳴いて私を起こしてくれたことを思い出します。のんびりした心地よい朝でした。

わたしたちの教会は、それでよいのです。小さく弱く貧しく目立たない存在であり続けてよいのです。これからも地味で地道な礼拝を重ねて行こうではありませんか。そのような礼拝こそが、わたしたちの人生をしっかり支える力になります。

(2021年12月19日 クリスマス礼拝)


2021年12月12日日曜日

主の道を備える(2021年12月12日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

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「主の道を備える」

イザヤ書40章1~11節

関口 康

「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために荒れ野に広い道を通せ。」

今日の聖書の箇所は旧約聖書のイザヤ書40章です。イザヤ書についてはだいたい定説になっている読み方があることを確認する必要があります。それはイザヤ書の1章から39章までを書いた預言者イザヤと、40章以下を書いた預言者とは、別の時代の別の人であるということです。

なぜそのように言えるか。1章から39章までを書いた預言者イザヤは、この人が紀元前8世紀の南ユダ王国のウジヤ王の顧問官だったことが分かる内容が記されています。それに対し、40章以下に描かれているのは紀元前6世紀の出来事です。特に44章28節に出てくる「キュロス」という名前の人物は、紀元前6世紀のペルシアの王です。

そのため、紀元前8世紀の「本来の」イザヤが2世紀も隔たりがある紀元前6世紀のペルシアの王の名前を知っていたはずがないという推論が働き、要するに40章以下は紀元前6世紀の人が書いたとしか言いようがないという結論になったという次第です。イザヤ書40章以下を、39章までの預言者と区別するための学説上の名称は「第二イザヤ」と言います。

さらにもう少し言えば、「第二イザヤ」の範囲は40章から始まってイザヤ書の最後まで、ではなく、「第二イザヤ」の終わりは55章までで、56章から66章まではさらに別の預言者が書いたものだと言われます。その部分の著者を、学説上の名称で「第三イザヤ」と言います。

「第三イザヤ」の時代は「第二イザヤ」と同じ紀元前6世紀です。しかし、「第二イザヤ」との違いは思想や用語が違うと言われます。ヘブライ語の聖書を読むことができる学者がイザヤ書を読むと、55章から56章に移るところでがらっと文体や語調が変わる様子が分かるそうです。

しかし、このような、同じ「イザヤ書」の中に異なる時代の別の預言者の言葉が含まれているという学説は、それが定説として受け入れられるまでにしばらくの年月がかかったと思われます。もっとも私は、この学説が教会に受容された詳しい消息を知っているわけではありません。

しかし、このような聖書に関する、聖書に直接書いてあるわけでない学説上の知識の話を教会の中でするだけで嫌悪感や拒絶反応を表明されることがあるので要注意だと思っています。私も、自分が知っていることのひけらかしをしたいわけではありません。聖書という書物を歴史的背景や文脈を無視して、まるで占いの本であるかのように読んではいけないと思うだけです。

かろうじて21世紀まで生きた私たちです。しかし、2世紀後の23世紀の世界がどうなるかを知ることは不可能です。そのとき世界はどうなるかについて勝手なことを言うのは、ある意味で簡単です。しかし、23世紀にもなお日本という国があるとして、そのときもまだ天皇や総理大臣などの制度が仮に存続しているとして、その人たちの名前を今のわたしたちが言い当てることは不可能です。それとイザヤ書の時代的区分の話は同じだと思っていただきたいです。

イザヤ書40章からの「第二イザヤ」は紀元前6世紀の人です。紀元前11世紀に成立したイスラエル王国が初代サウル王時代、二代目ダビデ王時代、三代目ソロモン王時代を経て、ソロモンの子どもたちが王位継承権を争い、北と南の2つの国へと分裂しました。それが前10世紀です。

その後、北王国は紀元前8世紀にアッシリア帝国によって滅ぼされ、南王国は紀元前6世紀に新バビロニア帝国によって滅ぼされます。

特に、南王国が新バビロニア帝国によって滅ぼされたときは、南王国の指導者層の人々(その人数は3千人とも1万人とも言われる)と、両眼をつぶされ、青銅の足かせをかけられた南王国最後の王ゼデキヤとが新バビロニア帝国の首都バビロンに連行され、そこで約70年とらえられた状態にありました。それを「バビロン捕囚」と言います。

その後、新バビロニア帝国はペルシア帝国によって滅ぼされ、ペルシアの王キュロスはユダヤ人をバビロンにとらえたままにする必要がないと判断し、ユダヤ人をパレスチナに返しました。それで、バビロンから解放されたユダヤ人たちは、祖国の首都エルサレムに戻り、新バビロニア帝国によってめちゃくちゃに破壊された町や神殿を、時間をかけて再建しました。

今日開いたイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」は、キュロスによってバビロンからユダヤ人が解放され、祖国再建の夢を抱いてパレスチナに帰還したその出来事をまさに描いています。これは紀元前6世紀の出来事なので、紀元前8世紀の本来のイザヤがそれを知りえたはずがない、というのが今日の最初に説明したことです。

私は聖書の講義をしているわけではありません。聖書の言葉を歴史的な文脈を無視して読んで、その中の印象的な言葉を書にして、額縁に入れて飾るだけでは何の意味もないと思っているだけです。それだけであれば、聖書はただのファッションです。聖書の言葉は自分を心地よい気持ちにしてくれるだけのアクセサリーではありません。

しかも、今日の箇所を含むイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」が描いている状況は、ユダヤ人たちがバビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻って祖国を再建する夢と希望を抱く場面です。「バビロン捕囚、バビロン捕囚」と言いますが、それは要するに戦争とその結果です。自分の国が負けて敵国の支配下に置かれ、自分たちの思い通りにならなくなることです。

高齢者になって、若いころにはできたことができなくなって、若い人たちに支配された状態に置かれることも、ある意味で似ているかもしれません。自由でない状態に我慢ができなくなって爆発的に騒ぐ人たちがいますが、それも似ています。戦争に負けて自分たちの自由を奪われた人たちの希望と目標は、自分たちの思いどおりにできるようになることでしょう。彼らにとってはそれが「バビロン捕囚からの解放」の意味です。

このイザヤ書40章以下の言葉と、ユダヤ人のバビロン捕囚からの解放の出来事が、新約聖書のマタイによる福音書に直接影響を与えていることは明白です。マタイ1章1節以下の「イエス・キリストの系図」の最後に「アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまで14代」(17節)と書かれているのは、マタイによる福音書がキリストを「バビロン捕囚からの真の解放者」だと考えているからだと私は考えます。

しかし、イエス・キリストはユダヤ人を政治的に解放して新しい国を作るために来られたわけではないというのがマタイによる福音書を含む新約聖書の教えであり、わたしたちキリスト教会の信仰です。「バビロン捕囚」は「敗戦」という言葉に置き換えることができます。敗戦を実際に体験した世代の方々には「敗戦」と言うほうがピンと来るかもしれません。

戦争に負けた敗戦国がめざすことは、敵国への復讐を果たして戦争以前の国を取り戻すことではなく、人と人が争い合うこと自体をやめ、真の平和の実現のために人間の心の問題に取り組み、神による魂の救いを体験することです。イエス・キリストが来てくださったのは、そのためです。

(2021年12月12日 待降節礼拝)

2021年12月5日日曜日

受胎告知(2021年12月5日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会〔東京都昭島市中神町1232-13)

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「受胎告知」

ルカによる福音書1章26~38節

関口 康

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』そこで、天使は去って行った。」

今日から、礼拝の司会を牧師が行う緊急事態方式を終了し、本来の方式に戻します。現時点では日本国内は爆発的感染と言えるような状況にないからです。またどうなるか分からないというのが正直な気持ちであり、みなさんも同じお気持ちでしょう。しかし、それでも「できることをできるうちにする」という姿勢が大事です。

礼拝の司会の件は、それをだれがすべきかという議論が目的ではなく、礼拝当番表を作成するのを中止することが目的でした。教会のすべての奉仕は自発的なものでなければならず、義務や責任という観点からうんぬんされるべきではありません。しかし、当番表があると礼拝の出席や奉仕が強制的なものと感じられ、感染症対策の観点から外出を控えたくても義務感が生じるので、当番表の作成自体をストップしましょうと役員会で決めた次第です。

しかし礼拝の司会をすべて牧師が行う方式は長く続けるべきではありません。礼拝の雰囲気がどうしても一本調子になります。慣れるとそのほうが良くなるかもしれませんが、まさにそれが危険です。

学校も似ている面があります。感染症対策の観点から校舎での対面授業をすべて取りやめて、インターネットを活用したリモート授業に切り替える措置をとった学校が多くありました。それにみんなが慣れてくると、もうずっとそのほうがいいという空気になりそうな勢いを感じました。しかし、リモート授業は本来の形ではなく、緊急措置です。対面授業とリモート授業は全く別のものです。良し悪しの問題ではなく、異なるものを同一視してはいけません。

教会の礼拝も、牧師の声だけが響く形でなく、教会のみんなで作り上げていく形が、昭島教会の本来の礼拝です。異なるものを同一視してはいけないという観点を忘れずにいましょう。再び状況が悪化してきたら、いつでも緊急自体方式に移行するという柔軟な姿勢でいたいと願います。

さて、今日は待降節第2主日です。クリスマス礼拝が再来週の12月19日に迫りました。会社の方々は年末年始は忙しいでしょうし、学校は期末試験の最中です。受験生は大詰め段階です。そのような中で迎えるクリスマス礼拝ですので、とにかく安心できる、ほっとする、慰められる、ほめてもらえる礼拝になりますようにと願うばかりです。

先ほど司会者に朗読していただいた聖書の箇所に記されていました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28節)。天使ガブリエルがマリアに告げた言葉です。

1989年版の改定英語訳聖書(The Revised English Bible)で「おめでとう」は“Greetings”と訳されています。英語でメールを書く仕事をしておられる方がおられると思います。特に公式のメールを書くとき、毎回のようにGreetingsと、冒頭か末尾に書くならわしがあることを私も知っています。その意味は「おめでとう」でもあり「こんにちは」でもあります。

もちろん、この「おめでとう」という天使ガブリエルの言葉を聞いた直後のマリアの反応が、ただ戸惑いでしかなく、もっとはっきりいえば恐怖でしかなく、あまりに大きな精神的ダメージを受けて立ち直れなくなりそうなほどであったことをわたしたちは知っています。

結婚する前のマリアであったということもさることながら、天使ガブリエルの言葉によると、生まれる子どもは「偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」(32~33節)というのですから、マリアに求められたのが王の母になる覚悟と準備であるのは間違いありません。

それがマリアにとって「おめでたい」話だったとは思えません。当時の状況を考えると、天使ガブリエルの言葉を聞いたマリアが何の驚きもためらいもなく「了解です」と反応したとしたら、皮肉な言い方になりますが、マリアは相当おめでたい人です。

なぜそう言えるかといえば、当時の状況を考えれば、「ダビデの王座」や「ヤコブの家の支配」は、あのヘロデ王が継承しているとみなされていた時代です。地域差別や職業差別をする考えは、私にはありません。しかし、ナザレというガリラヤの町で大工を営むヨセフといいなずけの関係にあったマリアが、自分から生まれる子どもに王位継承権があると本気で信じたのだとすれば、マリア自身が自覚しなければならなかったのは、自分から生まれる子どもは、現政権を維持するために生まれるのではなく、それを根本的に破壊し、くつがえし、新しい国にするほどの革命家の母になることの覚悟と準備であったとしか言いようがありません。

しかし、ルカによる福音書に記されているマリアの反応は、今申し上げた方向ではなく、私はまだ結婚していないのにどうして子どもが生まれるのだろうとか、そちらの方向に膨らんでいるのは、いかにも幼稚です。そんなことはどうでもいいとは申しません。しかし、本気で政権交代をめざす子どもの親になりなさいと、まるでそう言われたかのような天使の声に対して、マリアがそのとき何を考え、どう応えるべきだったかは、別の問題に属する気がします。

しかし、かなり混乱しながらも、最終的にマリアが出した結論と答えは素晴らしいものです。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)とマリアは天使ガブリエルに答えました。

先ほどご紹介した1989年版の改定英語訳聖書(REB)には、次のように訳されています。“I am the Lord’s servant. May it be as you have said”.この英語は理解が難しいかもしれません。もっと前の1946年版の改定標準訳聖書(Revised Standard Version)では、次のように訳されています。“I am the handmaid of the Lord; Let it be to me according to your word”.

そうです、ビートルズです。レット・イット・ビーは「なるがままに」とか「放っておけ」などと訳されます。ビートルズの場合は、困ったときにマリアが来てくれて「レット・イット・ビー」と言ってくれる歌です。しかし、改定標準訳聖書(RSV)に従えば、「レット・イット・ビー」は、マリアが天使ガブリエルに答えた言葉です。

しかし、それは「どうにでもなれ」「そんなの知るか」という自己放棄ではなく、「神の言葉がこの私の存在において実現しますように」という祈りです。「私は一切関わりたくありませんが、神の言葉は実現しますように」という祈りでもありません。「私をどのようにでもお用いください。私はあなたに服従いたします」という神への信頼と服従の表明であり、態度決定です。

わたしたちはどうだろう、私はどうだろうと、何度も自分に問いかける必要がありそうです。

(2021年12月5日 待降節礼拝)