2022年12月25日日曜日

キリストの降誕(2022年12月25日 降誕節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

もろびとこぞりて
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

「キリストの降誕」 

ルカによる福音書2章1~12節

関口 康 

 「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」 

 (2022年12月25日 降誕節礼拝)

2022年12月24日土曜日

クリスマスの意味(2022年12月24日 イヴ礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


「クリスマスの意味」

マタイによる福音書2章1~12節

関口 康

「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して御子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」

クリスマスおめでとうございます。クリスマスはわたしたちの救い主イエス・キリストのご降誕をお祝いする日です。

イエスさまがお生まれになった場所はユダヤのベツレヘムです。ベツレヘムは現在のイスラエル国の首都エルサレムから8キロ南に下ったところにあります。

イエスさまがお生まれになった年号は正確には分かりません。ぴったり「2022年前」ではないとされます。現在の歴史家は「紀元前7年から4年までの間」と推定しています。

今夜の聖書の箇所に登場するのは、東の国の占星術の学者たちです。その国はおそらくバビロニア(現在のイラク南部)です。

その人たちが、聖書を調べた結果としてではなく、自分たち自身が取り組んできた「占星術」という方法で、ユダヤのどこかに救い主がお生まれになるに違いないと確信し、バビロニアからエルサレムまで、そしてイエスさまがお生まれになったベツレヘムまで砂漠の中を旅してきた、というのが今夜の聖書の箇所の物語です。

バビロニアからエルサレムまでは1600キロ。1600キロは青森市から山口県下関市まで。新幹線でも大変、ラクダならもっと大変な旅です。

占星術の学者たちは、イエスさまに黄金、乳香、没薬を贈りました。「黄金」は王への贈り物(詩編72編15節)、「乳香」は古代世界で香水にするか、燃やして良い香りを得るためかに用いられました。「没薬」は、亡くなった人に塗る薬。

今夜の聖書の箇所の物語で分かるのは、イエスさまを最初に拝みに来た東の国の学者たちは、聖書を一生懸命勉強してきたわけではなく、聖書の神さまを信じていたわけでもなく、むしろそういうこととは全く無関係に生きて来た人たちだった、ということです。

しかし、それでも片道1600キロの砂漠の旅に出かけようとこの人たちが考えたのは、実際に現地に行ってみなければ事実かどうか分かるわけがないことを、実際に行ってみて自分の目で確かめなければならないと考えた、勇気と冒険心を持つ人たちだったからです。

わたしたちの人生も、途中、何度となく大きな壁にぶつかることがあります。この先、私は、私たちは、どうなるか分からなくて不安になります。

そのときわたしたちに必要なのは、勇気と冒険心です。イエスさまを訪ねてやってきたバビロニアの学者たちの勇気と冒険心からわたしたちが学べることは多いです。

これから何か大きな壁にぶつかったとき、今夜の聖書の箇所を思い出してください。そして、何度も聖書を読んでみてください。

教会は、そのようにして生きて来た人々の集まりです。初めから信仰を持っていたから教会に来たのではなく、悩んで苦しんで教会にたどり着いたのです。

(2022年12月24日 クリスマスイヴ音楽礼拝)

2022年12月18日日曜日

受胎告知(2022年12月18日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 175番 わが心は
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん


「受胎告知」

秋場治憲

ルカによる福音書1章26~38節

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』そこで、天使は去って行った。」 

 先ほど歌った讃美歌175番は、「マリアの賛歌」として、とても有名な讃美歌です。ルカ福音書の1:46~56に記されていますが、そのマリアの賛歌に曲をつけたものです。「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。」という言葉で始まっています。今日のテキストのすぐ後に続いています。讃美歌21は174番から179番まで「マリアの賛歌」になっています。176番と177番はラテン語の言葉がそのまま使われています。少しラテン語(ウルガータ聖書)の文言は、以下のようになっています[1]

47, Magnificat(崇める、称賛する 現在形)anima (心、魂)mea(私の)Dominum(主を)et exultavit(躍り上がって喜んだ、狂喜した) spiritus meus(私の霊は) in Deo(神において) salutari(救いの) meo(私の)

48. quia(なぜなら~から) respexit(気遣って下さった、配慮して下さった 完了形 humilitatem(<私の>卑しさを) ancillae(奴隷、女中、はしためであるsuae (主の)

ecce(見よ、)enim(だから)ex hoc (今から後)beatam(祝福された者と、幸いな者と)me(私を)dicent(呼ぶでしょう 未来形)omnes(すべての) generationes子孫たちは)

マリアの賛歌

そこで、マリアは言った。

私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。

身分の低い、この主のはしためにも

目を留めてくださったからです。

今から後、いつの世の人も

私を幸いな者と言うでしょう、

力ある方が、私に偉大なことをなさいましたから。

結局どういうことかと申しますと、マリアの賛歌というのは、自分のような主のはしためでしかない、卑しい、実に取るに足りない者をさえ主は顧みてくださり、神の子の母となる栄誉をお与えくださった、と小躍りして喜び、主の御名を讃美したというのです。一体マリアに何が起こったのか、そのことを伝えているのが、今日のテキストです。

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

「六か月目に」というのは、先週の関口先生の宣教にあったように、神殿でのザカリヤに起こった出来事、そしてエリサベトが懐妊してから六か月目ということです。私は今回ここを読みながら、前回のピリポの所で触れたナタナエルの言葉「ナザレから、なんのよきものが出ようか。[2](口語訳)を思い出した。ルカは更に「ガリラヤの」という地名を加えている。

「キリストはまさか、ガリラヤからは出て来ないだろう。[3]」(口語訳)と言われていたガリラヤです。

その昔ソロモン王がエルサレム神殿を建てた時、多くの材木をレバノンから運んでくれたフェニキアのツロの王ヒラムに、ガリラヤの20の町をその礼として贈りましたが、ヒラムはその贈り物に対してはなはだ不満であったということが列王記上9:11に記されています。その他にも「異邦人のガリラヤ[4]」とも言われてきていました。軽蔑とさげすみの対象でしかない地名が並びます。誰も注目しない所に、更に小さなナザレという町の一人の少女のもとに、神から遣わされた天使がやってきたというのです。クリスマスのメッセージというのは、こういう所を目指してやってくるのです。何万球というLED電球に彩られた所ではなく、「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、平和の道に導く[5]」ためにやってくるというのです。

「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

私はこれは大変な言葉だと思う。神と人間、一方が聖なるものであるとすれば、他方は罪と矛盾に満ちている。人間でさえこんな浮世はいやだと言って、世捨て人になる人がいるくらいです。従ってこの二つは、神と人間は決して交わることがない。どこまで行っても平行線である。ところが、それにもかかわらず、神はこの世とかかわりを持とうとされた。この世は神の審判の対象ではなく、愛の対象となったというのです。これは考えてみると実に驚くべきことです。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」神のハードルは私たちが想像するよりはるかに低く、無限に低くされ、放蕩息子のようにボロボロになり、身一つになって父の家に転がり込んできた者に、最上の服を持ってきて着せ、よく帰って来たと抱きしめ、接吻して迎えるというのです。

いと高き所におられる神が、ガリラヤという辺境の地にあるナザレという村の一人の乙女を母として選ばれた、というのです。彼は当時の世界を支配していたローマ人としてこの世に生を受けたのではなく、あなどられた弱小民族の一人として誕生する。神が人間の罪に対する責めを負われる決意をしたことが、私たち人間に知らされた瞬間です。この言葉が語られた瞬間に、すべてが変わり、すべてが新しくなった。しかしこのことはヨハネ福音書がその冒頭で語っているように、また私たちが創世記で見てきたように、初めからあったことだったと聖書は記しています。

「おめでとう」と訳された言葉は、ラテン語で私たちがよく知っている言葉、Ave Mariaという言葉です。 カトリック教会の聖典となっているウルガータというラテン語の聖書を見てみますと、Have(=Ave こんにちは)gratia plena (溢れる恵みを受けた方)Dominus(主が)tecum(あなたと共に)benedicta(聖別された、祝福された)tu (あなたは)in mulieribus(女たちの中で)となっています。

Ave というのは会った時、別れる時の挨拶の言葉で、こんにちは、こんばんは、さようなら、ご機嫌よう、またおめでとうというお祝いの言葉として使われます。

「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』ここには生まれてくる子は「ダビデの子」としてダビデ王の王座を受け継ぐ者であることが述べられています。マリアは天使に『どうして、そのようなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに』と当然の疑問を返します。

それに対して天使の答えは、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」と返答しています。ここには「ダビデの子」という呼び名とは別に、「神の子」という呼び名が出てきます。これは実は大切な点なのです。イエスの誕生を扱っているのは、マタイ福音書とルカ福音書ですが、マタイはユダヤ人、旧約聖書を熟知している人々を対象にしています。主イエスが旧約聖書において預言されたことが主イエスにおいて実現したという点[6]に力点を置いています。必然的に旧約聖書からの引用が多くなっています。その色彩は東洋的で東の国から博士たちがラクダに乗ってやってくる。アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯が出てきそうな世界です。贈り物は黄金、乳香、没薬です。主イエスを「ダビデの子」と位置づけています。

ルカは旧約聖書を知らないヘレニズム文化の中に生活する異邦人を対象としています。その色彩は西洋的であり、旧約聖書とは切り離された形で、主イエスが「ダビデの子」であると同時に「神の子」であると言っています。

シメオンの言葉に、「主よ、今こそあなたはお言葉どおり、この僕をやすらかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉です。」(ルカ2:29~32)異邦人も含めた万民の救いに向かいます。

マタイは「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を生む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(マタイ1:20~22)あくまでもイスラエルの救い主です。

両者の系図に注目してみると、マタイの系図は「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」という言葉で始まっています。そして「このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。」と結んでいます。そして私たちがよく知っている「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。」とその誕生の次第が続きます。そこで言われていることは、メシアと呼ばれるイエスは聖霊によるものであるというのです。ヨセフの子ではないというのです。ということは「ダビデの子」でもないということになります。私たちはここで面食らいます。「アブラハムの子ダビデの子」として誕生したイエスは、ヨセフの子でもなく、従ってダビデの子でもないというのです。いったい何が言いたいのか分からなくなります。

しかし、この系図を前にしてしばし考えてみると、ここでマタイが言わんとしていることは、主イエスが「ダビデの子」を超えた方であるということが、マタイがその福音書の冒頭で言わんとしていることなのだということに思いあたります。しかもその方は、預言者たちによって言われてきた方であり、その預言が実現したのであると証言しています。

それに対してルカの系図[7]はイエスから始めて、ダビデを超え、ヤコブ、イサク、アブラハムを越え、アダムを越え、そして神にまで至っています。ルカはイエスがユダヤの民族的な神を越えて、全人類の神というところに至っているのです。

結局何が言いたいかというと、主イエスは確かに旧約聖書の預言の実現としてダビデの子の位置に誕生したけれども、その方はダビデの子を超えた存在であり、その誕生は、血筋によらず、肉の欲によらず、神の一方的な恵みとしてこの地上に誕生したというのです。ユダヤの民族主義的なローカルな範囲を超えた存在であるということが語られています。私たち自然科学の教育を受けて成長してきた者にとっては、どうしても処女降誕なるものがあったかなかったかということに振り回されがちですが、聖書には聖書の読み方があるのです。ここで言われていることは、このイエス・キリストは人間の協力なしに、神からの一方的な贈り物、プレゼントとして全人類に与えられたものであるというのです。

またこのことをマタイ福音書では、ユダヤが男性社会であることもあり、ヨセフの決断に焦点が当てられているのに対し、ルカはユダヤの世界ではその人格さえ認められていなかった女性マリアが全責任を負って一人で決断していきます。この対比、コントラストに注目することも大切なことです。東洋的、民族主義的、律法の世界、閉鎖的世界におけるヨセフに対し、西洋的、グローバリズムの世界、自由で開放的な異邦人社会におけるマリアの対比に注目して聖書を読むと、また新たな視点を与えられると思います。この違いは後の宣教においても、大きく影響してきます。アンテオケの教会から出立したパウロが異邦人社会において、目覚ましい発展をしていったのに対し、ユダヤにおけるキリスト教会は凋落の一途をたどります。パウロが異邦人社会で集めた献金をもって援助するようになります。私たちの教会も閉鎖的にならず、開かれた教会でありたいと思います。

次にエリサベトが登場してきます。エリサベトは先週の関口先生の宣教にあったように、バプテスマのヨハネのお母さんです。父は祭司ザカリアです。この受胎告知と共に不妊の女と言われていたエリザベトが、既に妊娠して6か月目に入っていることが告げられます。そして「神にはできないことは何一つない。[8]」とマリアを励ましています。その後マリアはエリサベトの所に急ぎます。ザカリアはエルサレムの神殿の祭司ですから、その住まいは当然エルサレムかと思っていたのですが、39節には「そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。」と記されています。聖書辞典によると「彼は当時の俗化したサドカイ派の祭司たちと異なっていたことを暗示する。」と記されています。具体的にどこかということは分かりませんが、エルサレムの祭司たちとは一線を画していたようです。ルカは「二人とも神の前に正しい人で主の掟と定めをすべて守り、非の打ちどころがなかった。[9]」と伝えています。バプテスマのヨハネのイメージが重なります。神はマリアが一人でこの重責に耐えるのではなく、エリサベトという支えを用意されたのです。

マリアが処女であったということは、彼女が聖なる存在であったということを言おうとしているのではありません。また処女降誕という自然の摂理を越えた出来事であることを強調したのでもありません。それは神の側からの一方的な恵みとして与えられたこと、イエスがヨセフの子ではないということを言うことによって、主イエスが「ダビデの子」を越えた存在[10]であることを伝えようとしているのです。

主イエスご自身もそのことを指摘[11]しています。ルカ福音書から引用しておきます。イエスは彼らに言われた。「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』というのか。ダビデ自身が詩篇[12]の中で言っている。

『主(神は)はわたし(ダビデ)の主(メシア)にお告げになった。「わたし(神)の右の座につきなさい。わたし(神)があなた(メシア)の敵をあなた(メシア)の足台とするときまで。」と。』このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」というものです。ここでも「神の子」は「ダビデの子」を超えた存在であることが確認されています。

考えてみると、実に驚くべきこと。決して交わることのないはずの平行線が、神の方から一方的にこの世の歴史に介入してきた。それが今日のテキストである「受胎告知」の出来事です。

ふりかえってみると、神はエデンの園においてアダムとエバが、食べてはいけないと命じられていた善悪を知る木から取って食べた二人を追放した。しかしその裏で神は二人を追放する際に、いちじくの葉に換えて破れることのない皮の衣を着せられた。弟アベルを手にかけたカインを追放する際に、カインが主に「私の罪は重すぎて負いきれません。」と訴えると、主は誰も彼を殺すことがないようにとカインに一つの印をつけて守られた。

追放という表の顔に隠されながら、裏ではアダムとエバを、そしてカインを守り、祝福された。神は決して彼らを追放して、後は知らないよと突き放したのではなかった。モーセが神の栄光を見ることを求めた時、神はモーセを岩の裂け目におき、ご自身の後ろ姿を見せられた。神の裏の顔はどんな顔だったのだろうかと考えたことがあります。皆様はどんな顔を想像されるでしょうか。アダムとエバにその恥部を隠すために、破れることのない皮の衣を着せられた神、カインの罪を覆われた神が、この歴史に一方的に介入してきたというのです。

神がこの世を愛するというあり得ないことが起こるからには、さぞかし偉大な出来事が起こったのだろうと思うが、そうではなかった。この出来事は偉大ダビデ王がそうであったような政治的、軍事的な出来事としては起こらなかった。独り子をこの世に与える、十字架上での贖いの死という低き姿でこの世に介入してこられた。キリストの十字架は、この政治的、軍事的力による支配者「ダビデの子」から世の罪を除き給う贖いの供え物となる「神の子」に移行する転換点に立っているのです。ダビデの王座に君臨して、時のローマの支配からイスラエルの民を解放してくれる政治的、軍事的指導者としてではなく、人間の罪の赦しという福音そのものとして全人類の上に臨まれたというのです。

しかしこの転換は簡単ではない。中神駅の次は東中神駅という訳にはいかない。ここでは私たちがイエス・キリストと共に十字架に死すということがないと、中々「神の子」が見えてこない。自分の義で満ち満ちている者には、gratia plena (溢れる恵み)を受け入れる余地がない。ペテロも他の弟子たちも、この十字架の前でつまずいたのです。そして自らの義が、プライドが粉々に粉砕されてはじめて、このgratia plena に気づかされるのです。その時はじめて神の子に出会うのです。

ところがわずかに15,6歳の少女が、「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と告白するのです。「はしため」とは、召使の女、下女のことです。「お言葉どおり、この身に成りますように。」とは、一体このいたいけな少女のどっから出てきた言葉か、圧倒され、しばし言葉を失います。聖霊の風は実に老若男女問わず、自由にその目指すところに向かうということを再確認させられる。

そしてこの聖霊は「神の子イエス」を証し[13]、使徒言行録においてペテロやパウロを導いて、全世界の救い主として広がり、私たちのところまで届けられたのです。ガリラヤのナザレに住む一人の少女の信仰告白が、二千年の歳月を経て、歴史を導く聖霊により今や全世界に証されている。だからあなた方は自らの矮小さを恐れるなというのです。自分の中に誇るべきものが何もない、ということを恐れるなというのです。それはマリアと共に gratia plena 溢れるほどの恵みを受け入れるための器である。

「受胎告知」はそのことを私たちに知らせようとしているのです。


[1] 口語訳「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、私を幸いな女と言うでしょう。力ある方が、私に大きな事をしてくださったからです。そのみ名は清く、そのあわれみは、代々限りなく 主を恐れる者に及びます。」

[2] ヨハネ福音書1:46

[3] ヨハネ福音書7:41

[4] イザヤ9:1、マタイ4:15

[5] ルカ福音書1:79

[6] サムエル記下7:12以下参照 マタイ福音書1:22

[7] ルカ福音書3:23以下参照

[8] 創世記18:14「主に不可能なことがあろうか。」老齢になっていたサラに男の子が生まれると聞いた時、サラは笑った。その時主が言われた言葉である。

[9] ルカ福音書1:6

[10] ルカ福音書20:41「イエスは彼らに言われた。『どうして人々は、メシアはダビデの子だ』と言うのか。ダビデ自身が詩篇の中で言っている。『主(神)は私(ダビデ)の主(メシァ)にお告げになった。「私の右の座に着きなさい。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで」と』このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

[11] マタイ22:41~46、マルコ12:35~37、20:41~44

[12] 詩篇110、

[13]「しかし弁護者(口語訳は助け主)、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」ヨハネ福音書14:26

(2022年12月18日 待降節礼拝)

2022年12月11日日曜日

信仰と忍耐(2022年12月11日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 231番 久しく待ちにし
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん


「信仰と忍耐」
ルカによる福音書1章5~25節

関口 康

「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」

今日は待降節第3主日です。4本のロウソクすべてが点るのがクリスマス礼拝、というのがだいたい例年の流れですが、今年のクリスマス礼拝は来週ではなく再来週です。そういう年もあります。

今日の朗読箇所はルカによる福音書1章5節から25節です。ここに描かれているのは洗礼者ヨハネの誕生が天使ガブリエルによって予告されたときのことです。

洗礼者ヨハネは、多くの人に洗礼を授けた人です。洗礼そのものに重いとか軽いとかの差はないと言わなくてはなりません。しかし、ヨハネが世界と教会の歴史において果たした役割という観点からいえば、イエス・キリストに洗礼を授けた人であることは特筆すべきです。

しかも、ヨハネの役割は、多くの人々をイエス・キリストへの信仰へと導く道備えをすることにありました。その意味でイエス・キリストの先駆者としての働きがヨハネに与えられました。

新約聖書に4つある「福音書」の中で特にルカによる福音書は、まずヨハネの誕生を詳しく描いたうえでイエス・キリストの誕生を詳しく描くことによって2人の関係の深さを強調しています。

洗礼者ヨハネとイエス・キリストの共通点は同じ時代に生きたことです。「ユダヤの王ヘロデの時代」(5節a)です。マタイによる福音書も「ヘロデ王の時代」(2章1節)と記しています。

このヘロデは「ヘロデ大王」です。ユダヤ人でしたが、ローマ皇帝(ユリウス・カエサルの後継者の初代皇帝アウグストゥス)と友好関係になることで、パレスチナ全土の支配者になりました。

ヘロデの治世は紀元前37年から紀元4年までの41年間です。エルサレム神殿の改築に取り組んだ人ですが、猜疑心の強さから多くの人を殺害したことでも知られる悪名高い王です。

「アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった」(5節b)。このザカリア(ヘブライ語でゼカリヤ)とエリサベトがヨハネの両親です。

エリサベトが「アロン家の娘の一人」であるという説明は祭司の家庭で生まれ育った人であることを意味します。ユダヤ教の律法と伝統によれば、祭司である男性は必ず祭司家庭出身の女性と結婚しなければならなかったわけではありません。

しかし、この夫婦は「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非の打ちどころがなかった」(6節)と言われるほど、当時のユダヤ教の考え方に照らして理想的な夫婦とされました。

「祭司」がどのような働きを担う人たちだったのかが、8節以下に記されています。それは要するにエルサレム神殿の礼拝祭儀にかかわる様々な働きです。ただし「祭司」と「祭司長」は区別されます。

「祭司長」はエルサレムに住まなくてはならず、日常的に神殿で働いていました。しかし「祭司」は、どこに住んでもいいし、ふだんは別の職業に就いていても構いませんでした。

「祭司」は24組に分けられ、年2回、1週間、安息日から安息日まで、エルサレム神殿で奉仕しました。奉仕の内容はくじで決めました。特に人気があった仕事が「主の聖所で香をたくこと」(9節)でした。なぜ人気があったのかといえば「祭司」の人数が非常に多かったためで、人生で1度以上この奉仕当番がめぐって来ることはありえなかったからです。ザカリアはその当たりくじを引きました。

しかし、ザカリアと妻エリサベトは心に重荷を負っていました。理由は、子どもが与えられないことでした。あくまで当時の話ですが、子どもがいないというだけで中傷誹謗を受けました。子どもが多く生まれること、特に男子が生まれることが神の特別な祝福とみなされました。反対に、子どもがいないことは神の罰だと考えられました。そういう社会の中で、この夫婦は苦しい立場に置かれていました。

ところが、そのザカリアとエリサベトの身に大きな出来事が起こりました。ザカリアが当たりくじを引いてエルサレム神殿で香をたいていた最中に、神秘的な体験をしました。

主の天使ガブリエルがザカリアに「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ」(13節)と言いました。

日本語訳を読むだけでは分からないことですが、「喜び」と訳されているギリシア語は特別な意味を持っている、と解説されていました。世界の終末において世界と人類が完成するとき、神と我々人間が共に分かち合う喜びです。ヨハネの誕生にそれほどの大きな意味があると天使が教えてくれました。

天使が続けます。「彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる」(15~16節)。当時のユダヤ教で「ぶどう酒と強い酒」はイスラエルが神から離れていることの象徴でした。それを絶対に(ウー・メー)飲まないことは、神の前で強い誓いを立てることを表しました。

そして、「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に決めさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」(17節)と主の天使ガブリエルは言いました。

この「エリヤ」は、紀元前9世紀の北イスラエル王国で活躍した預言者です。なぜ「エリヤ」の名が出てくるのかと言えば、エリヤは真の神に背を向けて邪神バアルを神とする道へと走ったユダヤ人を真の信仰へと戻した預言者だからです(列王記上18章参照)。

エリヤの働きの特質は、民の進む方向を180度、正反対の方向へと向けかえることでした。それが「悔い改め」すなわち「回心」の意味です。このエリヤの働きをこれから生まれるヨハネが体現すると、父ザカリアに天使ガブリエルが告げました。

驚くべき知らせに、ザカリアは戸惑い、疑う思いさえ抱き、自分も妻ももう老人なので今さら子どもが生まれることはありえないと考え、そのようにガブリエルに言ったところ、ヨハネが生まれるまで口をきけなくされてしまいました。

妻エリサベトは自分が身ごもったとき、「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」(24節)と言いました。

「よい知らせ」(19節)の意味は「福音」です。これはローマ皇帝を賛美するために用いられた言葉でした。それが全く異なる意味で用いられています。真の神はローマ皇帝ではなくイエス・キリストであり、イエス・キリストの道備えをするのが洗礼者ヨハネです。

そのことを主の天使ガブリエルが告げました。ローマ皇帝とヘロデ大王の二重支配のもとで苦境に陥り、忍耐している人々に真の解放、真の救いをもたらすことを、神が天使を通して約束してくださいました。

だれもがみなこの夫婦のようになれるわけではないかもしれません。彼らは子どもが与えられないことで中傷誹謗を受け、苦しみました。その彼らに神が報いてくださいました。

苦しみを忍び、信仰をもって歩む人々を、主は決してお見捨てになりません。そう信じて生きようではありませんか。

(2022年12月11日 聖日礼拝)

2022年12月4日日曜日

主の恵みの福音(2022年12月4日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 231番 久しく待ちにし
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます


「主の恵みの福音」

ルカによる福音書4章14~30節

関口 康

「そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた」

今日の箇所に記されているのはイエスさまの宣教活動初期に起こった出来事です。「イエスは〝霊〟の力に満ちてガリラヤに帰られた」(14節a)とあります。このように言われる場合の「ガリラヤ」は広い意味です。パレスチナの北部一帯を指していると言えますし、「ガリラヤ」という言葉には「周辺」すなわち「地方」を意味すると説明されます。

ですから「その評判が周りの地方一帯に広まった」(14節b)とあるのは、ガリラヤという名前の町があって、そこから近隣地域へ広まったという意味ではありません。「イエスはお育ちになったナザレに来て」(16節)も、ガリラヤという町からナザレという村へ移動されたという意味ではありません。ガリラヤ地方の中にナザレという村があり、そこへ行かれました。

「イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」(15節)とあるのも、ガリラヤ地方にユダヤ教の会堂(シナゴーグ)がいくつかあり、それらを巡回されて聖書の教えをお語りになることにおいて、みんなから尊敬される存在であられたということです。

しかし、それではなぜ、イエスさまがガリラヤ地方を最初の伝道拠点になさったのか、その理由は何でしょうか。考えられる理由が2つあります。

ひとつは、「周辺」や「地方」や「田舎」と言える地域から伝道することで、首都エルサレムや他の大都市のようなところで起こるのとは異なる、人と社会をめぐる様々な問題があるので、その問題にイエスさまが取り組もうとされたのではないかということです。あえてタイトルをつければ、イエスさまが「田舎伝道」に意義を見出された可能性です。

しかし、もうひとつ考えられる理由があります。ガリラヤ地方がイエスさまが幼少期を過ごされた故郷だったからです。つまり「郷里伝道」です。自分の親、兄弟、親戚、子どもの頃からの友人たち、同じ方言を使う人たち。その人たちに伝道したいとイエスさまが願われた可能性です。

どちらの可能性も否定できません。しかし、今日開いているルカによる福音書を読む限りにおいては、どちらかというと後者「郷里伝道」をイエスさまが願われた可能性が前面に出ています。たとえば、16節に「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」とあります。「お育ちになったナザレ」という言葉でナザレがイエスさまの故郷であることが強調されています。

「いつものとおり」は「慣例に従って」とも訳せる言葉ですが、このときの状況を鑑みると、イエスさまが物心つく頃から家族と共に通ったシナゴーグの昔ながらのあり方を踏襲してというニュアンスを読み取れます。イエスさまは宣教活動を開始されたのが30歳。30年程度では教会はやり方を変えません。50年でも100年でも、同じ讃美歌を歌い、同じ聖書を読み、同じ順序の礼拝を行います。

ナザレの会堂でイエスさまが聖書朗読のためにお立ちになり、「預言者イザヤの巻物が渡され」、お開きになりました(17節)。当時の会堂(シナゴーグ)の礼拝は、信仰告白(シェマー)、祈り、律法と預言者の各朗読、そして説教もしくは自由なお話で構成されていました。

すべてのユダヤ人男性は、律法の一部の朗読後、預言者の一部を朗読する権利がありました。律法の朗読は連続的な箇所が朗読されましたが、預言者は朗読者が自分で朗読箇所を選ぶならわしでした。つまり、このときイエスさまが開かれたイザヤ書は、ご自身がお選びになった箇所だということです。

そして、その箇所をイエスさまがご自身で声を出して朗読されました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」。

ただし、これがイザヤ書のどこかを探すのは難しいです。ひとつの箇所ではなく、いくつかの箇所をお読みになったからです。イザヤ書61章1節、58章6節、61章2節です。そしてイエスさまは巻物を巻いて係の人に返し、席に座られました。臨場感がある描写です。

イエスさまご自身が意図的にこのようにお読みになったのか、それともルカが要約しているのかは、どちらの可能性もあります。しかし、イエスさまが強調しようとされた核心部分が何であるかは明白です。それは「貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれた」という点です。

「貧しい」の他に「捕らわれている人」、「目の見えない人」「圧迫されている人」についても語られています。しかし、それらの人々も「貧しさ」と無関係とは言い切れませんし、「解放」と「視力」と「自由」を手に入れるのはその人々です。それは「心の貧しさ」(マタイ5章3節)でも物質的・金銭的な貧しさでもあります。「貧しさ」の中で傷つき、苦しみ、絶望している人々が解放され、自由を与えられることが「救い」であり、それが「主の恵みの年」を告げることだとイザヤ書が記しています。

この「主の恵みの年」は旧約聖書レビ記25章に規定された「ヨベルの年」を指します。ユダヤ人が奴隷の地エジプトから解放されたことを記念する50年ごとのお祝いの年。「7年×7=49年」の翌年。

そして、イエスさまは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した」と言われました。すると、そこにいた人々はイエスさまのことを「ほめ」、イエスさまの言葉に「驚き」ました。しかし、彼らの反応はそれだけでした。それ以上は何もしませんでしたし、それどころか、「この人はヨセフの子ではないか」と言い出しました。

この反応はイエスさまに対する疑問や反発です。大工の子ではないか、聖書の専門家ではないではないか。そんな人が「この聖書の言葉が今日実現した」とか言っている。実現できる力をお前ごときが持っているはずがない。お前のことは赤ん坊の頃から知っている、幼馴染み、同郷のよしみだと思っていたのに、我々に上から目線で指図するのはやめてくれと身構え始めている様子がうかがえます。

そのことをお察しになったイエスさまがおっしゃった言葉が「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」(24節)です。「自分の故郷」で神のみことばを語る人が嫉妬や嘲笑を受けやすい立場に置かれるのは昔も今も変わりません。横並びの関係だと思っていた相手に前に立たれると困るのです。

今日の箇所から学べることは「伝道の難しさ」かもしれません。イエスさまにとっても「郷里伝道」は難しいことでした。故郷の人々に殺されそうになりました。最も近い関係の相手にこそ、最も伝道が難しい。それはわたしたちも繰り返し体験してきたことです。

何が伝道の障害なのかをよく考えなくてはなりません。わたしたち自身の心が伝道を妨害している可能性があります。みことばを語る人に対する嫉妬ややっかみのような感情が心の中に渦巻いていると、素直に聞くことができないかもしれません。

しかし、「だれが語るか」よりも、「何が語られ、何を信じるか」が大事です。聖書の御言葉がおのずから働くその力を信じることが大事です。わたしたちはだれから算数を学んだでしょうか。小学校時代の先生の名前を思い出せなくても、算数ができればそれでいいのです。それと同じです。

(2022年12月4日 聖日礼拝)

2022年11月27日日曜日

私たちに父を示してください(2022年11月27日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 242 主を待ち望むアドベント
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん


「私たちに父を示してください」

ヨハネによる福音書14章1~11節

秋場治憲

「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。」

 今日からアドベントが始まります。私たち教会生活を長く送ってきている者にとっては、何の違和感もなくアドベント、レントというラテン語を使っています。ご存じのようにアドベントは待降節、レントは受難節です。レントの詳しい説明は別の機会に致しますが、今回は今日からアドベントが始まりますので、アドベントについて簡単に説明しておきたいと思います。これは昨年のアドベントにも説明したことですが、繰り返します。

ラテン語でad-vento と書きます。ad- というのは、英語の前置詞to に当たります。I go to school (私は学校へ行く)のto(~へ、~を目指して)という意味になります。ventoというのは英語のarrive(到着する、到来する、やってくる)という意味です。合わせると、何かを目指してやってくるというのがアドベントという言葉の意味になります。誰が何を目指してやってくるのかというと、神の子イエス・キリストが私たちを目指してやってくるというのです。サンタクロースのように大きな、大きなプレゼントを、私たちに届けるためにやって来るというのです。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなた方に伝える。[1](口語訳)と御使いが野宿をしていた羊飼いたちに語っています。ではこの大きな喜びとは何か。それは、ガラテヤ人への手紙にあるように、「しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生まれさせ、律法の下に生まれさせて、おつかわしになった。それは律法の下にある者をあがない出すため私たちに(神の)子たる身分を授けるためであった。このように、あなた方は(神の)子であるのだから、神は私たちの心の中に、『アバ、父よ』と呼ぶ御子の霊を送ってくださったのである。[2]」とあるように、それは私たちに「神の子としての身分を授けるため」であり、「律法の下からあがない出すため」である。

しかしこの我らにとって「大きな喜び」、「よきおとずれ」「福音」となるプレゼントは、神の御子の十字架上での命と引き換えに我らに与えられるものであるということを我らは知っています。我らの罪が御子に着せられ、御子の義が我らの上に着せられるというもの。姦淫の場で捕らえられ、主イエスの前に引きずり出された女に、「我も汝を罰せじ」と言われた時、モーセの律法に定められた刑罰を代わって受けられた方、この捕らえられた女の罪を引き受けられた方、この方が我らを目指してやってくるというのです。主イエスはこの罪の女に、あなたの暗い過去は全部私が引き受けるから、すべて私のもとに置いて行きなさい。あなたは自由だと言われるのです。こういうプレゼントを我らに授けるためにやってくるというのです。心して今日からの4週間を過ごしたいと思います。そして感謝と賛美を高らかに歌いながら、この御子の誕生を祝うクリスマスを迎えたいと思います。

 私たちは10月30日に「永眠者記念礼拝」を持ち、信仰を持って天に召された143名の方々に思いを馳せ、感謝する礼拝を持ちました。また次の週11月6日には「昭島教会創立70周年」を井上とも子牧師の宣教とチェロ演奏により、またインドネシア教会の9名の方々による「叫べ全地よ」という力強い讃美歌によって祝い、励まされ、創立以来主イエスがこの教会の基として、また頭として導いて来られたことを再認識し、それぞれの信仰に確固たる基盤を与えられました。私たちはこの客観的な事実から離れてはならないと思います。確かにこの七十年という歳月の間には、様々な困難があり、教会が迷走した時、思い惑う時があったことでしょう。決して順風満帆の日々ばかりではなかったでしょう。しかしその暗雲たちこめるなかを導かれて今日に至っているという教会の歴史は、それだけで私たちが現在の、そしてこれから直面する様々な問題に対して、同じように教会の基としての主イエス・キリストが導いておられることを信じ、信仰をもって決断していくための力となり、また励ましとなって我らを支えてくれることでしょう。

ゼロから始められた昭島教会が、七十年という歳月を経て数えきれない人々が連なる大木に成長し、143名もの信仰の先達たちを御もとへと送り、今なおその成長を続けている。私たちは創立70周年を迎えて、この事実の上に私たちの信仰の基盤を据えたいと思います。昭島教会の基として、頭として、主イエス・キリストが導かれるのでなければ、このような偉業を成し遂げることは出来ないことです。

「私をお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれも私のもとへ来ることはできない。私はその人を終わりの日に復活させる。[3]

「私をお遣わしになった方の御心とは、私に与えて下さった人を、一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。[4]

私たちが主イエス・キリストのもとへと導かれ、信仰が与えられているのは、父なる神の御計画と、導きによるものであり、御子主イエス・キリストはその我らを終わりの日に、一人も失うことなく復活させることが、父なる神の御心であると断言しています。これは決して死が、陰府が、私たちが行きつく最終的な現実ではないということを伝えている言葉です。私たちは先に甦らされた主イエスが、直接父なる神のみもとへ昇ったのではなく、父なる神の特別の配慮により、この歴史上にその姿を現し、実になりふり構わず、マリアに、トマスに、弟子たちに「見よ、私は生きている」ということを伝えようとされたことを学びました。

復活の出来事というのは、アドベントの極まったところ、「神、我らと共にいます」というメッセージがただに我らの今生においてだけでなく、死して葬られ陰府にまで我らと共におられ、我らが神の子と共に甦らされるということが我らに知らされた出来事であった訳です。そのことを今一度弟子たちに伝えて、天に昇り行き、父なる神の右に座し、日夜私たちの日々の祈りを執り成しながら、聖霊を遣わしてその聖徒たちを今なお励まし続けておられる。これが私たちの信仰告白です。

 今日のピリポに入る前に、少し前回の復讐をしたいと思いますが、ピリポという名前はギリシャ名で、アレクサンダー大王のお父さんに因んで名づけられた名前であることを学びました。このピリポ、ギリシャ文化、言い換えればヘレニズム文化に多分に影響を受けて育てられた節がある。それは観念的であり、分析的であり、理性的でありそして正確です。弟子の一人アンデレがその兄ペテロに、イエスを紹介した時には、「私たちはメシアに出会った。[5]」と言っただけでしたが、ピリポはその友人ナタナエルに「私たちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。その方はナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。[6]」こんな紹介をした弟子は他にはありませんでした。この言葉を聞いただけで、ピリポと言う人の考え方、性格まで分かろうというものです。

 五千人の給食の場面では、主イエスは、このピリポを試みるために、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われた。私は長い間この「ピリポを試みるために」という言葉の意味が分からなかった。なぜなら主イエスがピリポを試みた結果らしきものが、まったく見当たらなかったからです。一体ピリポの何を試みられたのか。しかし長い間聖書を読んでいますと、このピリポの答えの中にその答えが隠されていることに気づかされた。ここでピリポが為したことは、二百デナリオン分のパンでも足りないというソロバンをはじいただけ。そして不可能です。無理ですという結論を出しただけでした。そしてこれで終われば何も始まらないのです。主イエスは理性の人ピリポに、そのことに気づかせようとされたのです。これは我々誰もが大なり小なり持ち合わせている特性ですが、弟子たちの中では特にピリポにおいて顕著な傾向でした。その教師役として一人の子供とペテロの弟アンデレが登場します。少しでもお役に立ちたいという五つのパンと魚二匹をもった子供とそれをイエスの前に差し出し、「でもこんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と言いながらでも、それをイエスの前に持ってくるアンデレには何とかしたい、しようという思いがあり、計算だけして不可能だという結論を出したピリポとは何かが違います。

 私たちは私なんかとか、こんなことしかできない、何もできないと言いがちです。我らの目には「何の役にも立たない」「こんなこと」と思われることを、主イエスはそれで十分であると言わんばかりに、人々を座らせなさいと言われた。「こんなこと」「何の役にも立たない」と思われたものが、主イエスの手に渡されると、五千人が満腹し、更に余りがあったというのです。我らの信仰の先達たちも決して有り余るほどの才能と力量をもってこの教会を守って来た訳ではありません。いつも五千人を前にして五つつのパンと魚二匹しか持ち合わせていなかった。しかしこの五つのパンと魚二匹を主イエスの前に差し出した時、主イエスはそれを手に取り、祝福して教会に返して下さった。信仰の先達たちはみんな自分に与えられている五つのパンと魚二匹に感謝することができたのです。何の役にも立たないと思われた物に感謝することができたのです。私たちはこの奇跡を、私たちの教会の歴史において確認したところです。我らはこれら信仰の先達たちに励まされながら、誇りをもって「こんなこと」「何の役にも立たない」かもしれないことを為し、主イエスの御前に捧げるものでありたいと思います。

そこで今回のテキストに入ります。この出来事は「最後の晩餐」の席での出来事です。トマスとピリポが、イエスに問いかけています。これに先立って主イエスご自身が腰に手拭いをぶら下げて弟子たちの足を洗うということがあり、ユダの裏切りを予告し、ペテロの離反を予告しています。そして今日の14章になります。ヨハネ福音書では13章の31節から14章、15章、16章と主イエスの長い説教が続き、そして主イエスの逮捕へとつながっていきます。13章31節から16章の終わりまで、「訣別の説教」と言われたり、「告別の説教」と言われているものです。主イエスの遺言ともいうべき言葉が、自分亡き後の弟子たちの置かれるであろう状況に対する並々ならぬ配慮が綴られています。

 今日のテキストはその一場面での出来事です。「あなた方は心騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。」と言われる。

弟子たちはいつもと違う主イエスの様子に、戸惑いを感じています。この出来事に先立つ13:33には「子たちよ、いましばらく、私はあなた方と共にいる。あなた方は私を捜すだろう。『私が行く所にあなた方は来ることができない』」という言葉も弟子たちを不安にしています。しかし、主イエスが彼らの前からその姿を消すということは、私たちのために天にその居場所を用意するためであると言われる。そして場所の用意が出来たなら、あなた方を迎えよう。私のいるところに、あなた方もおらせるためであると言うのです。

 主イエスの言葉は更に続きます。「私がどこへ行くのか、その道をあなた方は知っている。」と言われる。するとすかさずトマスが「主よ、どこに行かれるのか、私たちには分かりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか。」と単刀直入に問いかけます。この「主よ、どこに行かれるのですか」という言葉はクオ ヴァディス ドミネ というラテン語で映画にもなり、私たちにも耳慣れた言葉になっています。この問いかけに対する主イエスの答えが、またよく知られた「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」というもの。これは以前にもお話ししたことがありますが、これは新約聖書における六つのεγω (エゴー)ειμι(エイミ)~エゴーエイミ構文と言われるものの一つです[7]ειμι というのは英語のBe動詞で「~である」という意味ですが、ギリシャ語ではこのBe動詞ειμιに主語のI(私は)が既に含まれています。だから通常主語を強調する時でなければ、Iεγω)という主語を並記することはありません。それどころか、そのBe動詞が十分推察される時には、省略されるのが普通です。例えば甦られた主イエスが、ユダヤ人たちを恐れて扉に鍵をかけ閉じこもっているところに現われて、「あなた方に平安があるように[8]」と語る場面がありますが、原文ではειρηνη (エイレネー 平安が)υμιν(ヒューミン あなた方に)とあるだけで、Be動詞は省略されています。その結果このBe動詞を我々が聞きなれているように「あるように」と理解する読み方と「ある」と断言する読み方が出てきます。これはまた別の機会に譲ることにして、このエゴーエイミという強調構文は、この私以外に道は、真理は、命はないと断言している言葉になります。他ならぬこの私こそが道であり、真理であり、命であるということを極めて強く強調している言葉なのです。他には無いという意味が込められています。

 そして更に主の言葉が続きます。「あなた方が私を知っているなら(現在完了形)、私の父をも知ることになる(未来形)。今から、あなた方は父を知る(現在形)。いや、既に父を見ている(現在完了形)[9]」この主の言葉に今度はピリポが蛮勇を振るってイエスに問いかけます。「主よ、私たちに御父をお示しください。そうすれば満足します。」この質問はユダヤ人たる者は、決して口にしてはならない問です。ここで使われている「示す」という言葉は、「提示する」、「見せる」という意味の言葉です。例えば荒野の誘惑において、サタンはイエスを「非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もしひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。[10]」この「見せて」というのが、「示してください」と同じ言葉が使われています。更に挙げれば「そう言って、手と脇腹とをお見せになった」これも同じ言葉が使われています。ここのピリポの問いかけを「主よ、私たちに父を見せて下さい」と訳すこともできます。実際小林稔訳[11]はそう訳しています。しかしピリポにはこの言葉の意味が分かりません。父なる神を見たことなどないのです。つまりピリポには主イエスが「アバ、父よ」と呼びかけるような、父なる神との関係、親しさ、一体感の経験がないのです。頭では理解していても、そこに自分の存在を委ねることができないのです。信仰の一歩を踏み出すことができないでいるピリポが、蛮勇を振るって主イエスにした問いかけです。ユダヤ人たちは母親の母乳をいただきながら、律法を学ぶとさえ言われています。子供のころからモーセ五書を暗記するまでに覚えさせられて育てられます。神の存在は大前提であって、それを問うことは万死に値することでした。それを十分承知した上でのピリポの問いかけです。

 このピリポに対して、主イエスは「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ。なぜ、『私たちに父をお示しください』と言うのか。私が父の内におり、父が私の内におられることを信じないのか。私があなた方に言う言葉は、自分から話しているのではない。私の内におられる父が、その業を行っておられるのである。私が父の内におり、父が私の内におられると、私が言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。[12]

 ここで主イエスはピリポに対して、どうしてお前は信じないのか、不信仰な奴だ、と排除することはしていないのです。主イエスはピリポが万死に価する問いを発してきたピリポに、限りなく寄り添うのです。信仰の一歩前で足踏みをして、苦悶しているピリポを受け止めるのです。そしてもし私を信じられないなら、私が為してきた業を、あなたが自分の目で見てきた私の業を検証してみなさいというのです。 「信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。[13](口語訳)というへブル書の言葉がありますが、これは理性の人、科学的な人、常識の人ピリポにはまだハードルが高すぎる。否、ハードルは低い、否、ハードルは無いのです。それは既にピリポに与えられているのです。しかしピリポ自身が自分の内にハードルを設けて、それを乗り越えられないでいる。主イエスはこのピリポに助け船を出すのです。現実にあなたが見てきた事実を、あなたの目で検証してみなさい。そうすれば、私が父におり、父が私にいることを悟ることができると言われるのです。私に来る以外に道も、真理も、命もないと断言した主イエスは、その私に来るための道筋を、理性の人、科学的な人、ヘレニズム文化の中で育ってきたピリポにも納得できる道筋を示しておられるのです。客観的な事実を検証してみなさいと言われる。これはピリポが、その友人ナタナエルにイエスを伝えた時、「ナザレから何かよいものがでるだろうか。」と疑問を呈するナタナエルに、「来て、見なさい。」と答えています。律法に従えば「異邦人のガリラヤ[14]」からは、預言者が出ないというのです。そのナタナエルに来て、自分の目で確かめなさいと答えたピリポに、主イエスも私が為してきた客観的な事実をあなたの目で検証してみなさいと言うのです。

 私たちは丁度創立70周年を迎えていますが、何もないところから始められた昭島教会が、多くの人々の止まり木として成長してきたこの客観的な事実を検証してみるなら、この教会の中心に御子主イエス・キリストがおられ、この御子を私たちに証して止まない聖霊が忙しく活動しており、父なる神の御計画のもとに導かれていることが分かるはずであるというのです。

 私はこの理解を与えられた時、この問いを発しているのはピリポという名前の私自身ではないかと思ったのです。そしてこの不信仰な私が受け止められていることを知り、深い安堵感に包まれ、素直に「主よ、信じます。信仰なき我を助けたまえ。」と祈ることができたことを覚えています。

 主イエスのこの答えに、ピリポは沈黙しています。そしてこの沈黙をもって、聖書はピリポという人への言及を終えています。しかし私はピリポもかくも不遜な問いかけをした自分が、主イエスによって受け止められていることに深い安堵感と慰めを与えられ、私同様にいつの日か「主よ、信じます。信仰なき我を助けたまえ。」という告白をする人へと導かれたことと信じています。

 アドヴェントとはどこまでも我らと共に歩まれるこの神の御子が、私たちを目指してやってくるということ。私たちのもとへとやって来て、我らの内に住み、我らと共に歩まれる。ただにこの今生においてだけでなく、死して葬られ陰府にまでも共にあり、そしてこの御子とともに甦らされ、御子のおられる所に永遠に共に住むものとされるというのです。この方を「インマヌエル(神、我らと共におられる)」と現したのは、実に名言であると思います。このインマヌエルの意味を、もっともっと掘り下げて理解し、この方と共に歩むものとされたいと願うものです。聖書のすべての言葉は、この方を証しているのです。クリスマスまでの4週間心して聖書に学ぶものでありたいと思います。


[1] ルカ福音書2:10

[2] ガラテヤ人への手紙4:4~6

[3] ヨハネ福音書6:44

[4] ヨハネ福音書6:39

[5] ヨハネ福音書1:41

[6] ヨハネ福音書1:45

[7] 私はよき羊飼いである」「私は甦りであり命である」「私は世の光である」

など。この「私は」という言葉を、「他ならぬこの私こそが」と強調してよんでみると、また新たなニュアンスを読み取ることが出来ると思います。 

[8] ヨハネ福音書20:19

[9] ヨハネ福音書14:7(口語訳)「もしあなたがたが私を知っていたならば、私の父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである。」

[10] マタイ福音書4:8

[11] 新約聖書翻訳委員会訳 岩波書店

[12] ヨハネ福音書14:8~11 同書10:37~38

[13] へブル人への手紙11:1

[14] 「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。(ヨハネ福音書7:41)「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」(ヨハネ福音書7:52)

(2022年11月27日 聖日礼拝)

2022年11月20日日曜日

十字架の愛(2022年11月20日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 386番 人は畑をよく耕し
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん




 「十字架の愛」

ルカによる福音書23章32~43節

関口 康

「するとイエスは『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』と言われた」

今日の聖書の箇所は、昭島教会の週報の表紙イラストに長年描かれている場面です。いつごろから描かれるようになったかを調べました。1967年1月29日号(第792号)からだと分かりました。55年前です。石川献之助先生は49歳。昭島教会が「福島町」から現在の「中神町」に移転した直後です。

同年2月11日(日)に新会堂の献堂式が行われました。1月29日号の週報に「新会堂の十字架は、約10メートルの鉄塔を建設することになりました。献堂式までに完成の予定です」と記されています。3本の十字架が昭島教会の敷地に建てられました。なぜ3本なのかが今日の聖書の箇所で分かります。

まず「2人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った」(32節)と記されています。「犯罪人」(κακουργοι)は「強盗」とも訳せますが「熱心党(ゼロテ)」とも訳せます。

「熱心党」はユダヤ教の中の熱心な人たちで、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人たちが政治的に解放されることを願っていました。もしその意味だとすれば、政治犯だった可能性があります。

彼らの名前は記されていません。古いラテン語の写本の中に、この2人に「ヨアタス」(Joathas)と「マガトラス」(Maggatras)という名前を付けているのがあります。後から考えられたものでしょう。

33節でルカが、他の福音書は「ゴルゴタ」と呼んでいるこの場所をその名前で呼んでいないことが分かります。「されこうべ」は頭蓋骨です。処刑場の形状が頭蓋骨のようだったことから名づけられたと考えられています。別の説として、創世記の「ノアの洪水」の後、ノアがアダムの頭蓋骨をその場所に埋めたことが名称の由来であるという古い伝説がありますが、信ぴょう性は低いです。

2人の犯罪人のうちの 1 人はイエスの十字架の右側の十字架に、もう 1 人は左側の十字架につけられました。マタイとマルコは、十字架にはりつけられる前のイエスさまに「没薬を混ぜたぶどう酒」が差し出されたが、イエスさまが拒否なさったことを記していますが、ルカは記していません。

34節の亀甲括弧が気になる方がおられるかもしれません。この括弧の意味は、新共同訳聖書の底本(聖書協会世界連盟「ギリシア語新約聖書」修正第3版)の立場で、当該箇所が「後代の加筆」の可能性があることを示しています。重要な写本(p75 vid B D* W 0124 1241 579 pc a sa Cyril etc.)で、この節が欠落しています。

しかし、私が最も重んじている註解書(J. T. Nielsen, Het Evangelie naar Lucas II, PNT, 1983)は、この節を除外すべきでないと記しています。キリスト教会の長い歴史と伝統において、イエスさまが十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、無知と無自覚ゆえに罪を犯した人々のために祈られたことが疑われたことはありません。

35節以降でイエスさまは3つの方向の人々から嘲笑をお受けになります。第1グループは最高法院(サンヘドリン)の議員たちです。

ルカは「民衆は立って見つめていた」(35節)とあえて記し、民衆が見守っていただけであることを強調しています。声を出して嘲笑したのは最高法院の議員たちだけで、他の人々はそこにいるだけで何もしていません。まるで民衆は中立の立場にいたかのようです。しかし、彼らは野次馬です。イエスさまを嘲笑する人々の側に立っています。

第2グループはローマの兵士たちです。彼らがイエスに飲ませようとした「酸いぶどう酒」(36節)の意味は「酢」です。アルコール分がすっかり抜けて酸っぱくなっています。安く買えるので、兵士や一般の人々には飲まれていました (Strack-Billerbeck II, 264)。

それをローマの兵士たちがイエスさまに飲ませようとしたのは侮辱です。イエスさまを「ユダヤ人の王」だと言いながら、「王」に安物のワインを提供することで侮辱しています。旧約聖書の詩編69編22節に「人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします」と記されています。苦しんでいる人に「酢」を飲ませるのは敵対的な嘲笑行為です。

そしてローマの兵士たちは、イエスさまの頭の上に掲げられた「これはユダヤ人の王」とギリシア語で書かれた札を見上げ、その字を読みながら、「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」(37節)と嘲笑し、イエスさまに屈辱感を与えようとします。最もひどい場面です。

第3の嘲笑者はグループではなく個人です。イエスさまの隣りの十字架につけられていた犯罪人の 1 人までイエスさまを罵りました。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」(39節)と言いました。「自分自身すら救えない。それどころか、今まさに十字架にはりつけられて、苦しみと呪いの中にいる。そのことがまさにお前がメシアでないことの証拠だ」と言いたかったのでしょう。

イエスさまを嘲笑した3つの方向のグループないし個人の共通点があるかもしれないと、私なりに考えました。最高法院の議員たちはローマ帝国の傀儡。ローマの兵士たちはローマ皇帝の奴隷。十字架の犯罪人は磔(はりつけ)にされて身動きがとれない。

3者とも圧倒的な力にねじ伏せられている人々です。その人々なりに抵抗を試みたことがあったかもしれませんが、抵抗に失敗しました。失敗者たちです。その人々がイエスさまを嘲笑しました。「我々ができなかったことをやれるならやってみろ。できないだろうけど」と言っているように思えます。

しかし、もうひとりの犯罪人はイエスさまを嘲笑した犯罪人をたしなめました。「お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」(40~41節)と言いました。その人は、自分の罪を認め、後悔や反省、そして悔い改める心を持つに至った人だと言えるでしょう。

そして、その人が続けた言葉は、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(42節)でした。この「わたしを思い出してください」という言葉は多くのユダヤ人が祈りの中で唱え、自分の墓に刻んできた言葉です。その言葉を、この人はイエスさまに言いました。

するとイエスさまは、その人に次のようにお答えになりました。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(43節)。

これは、イエスさまがその人の罪を赦し、全き救いの中に受け入れ、イエスさまと共に天国に連れて行ってくださる約束です。「今日」は息を引き取る瞬間を指していますので、今すぐ、ただちに、です。イエスさまは、その人と一緒に楽園のパレードの場を飾ることを約束してくださいました。

しかし、それでは、イエスさまを罵ったもうひとりの犯罪人は、どうなるのでしょうか。最高法院の議員たちは、一般民衆は、ローマの兵士たちは、どうなるのでしょうか。「わたしのことを思い出してください」とイエスさまにお願いした人だけ天国に行くことができて、あとはみんな地獄でしょうか。

そうではないことを教えるのが今日の箇所の趣旨です。悔い改めるに越したことはないでしょう。しかし、イエスさまは御自分を罵り、嘲笑した人々のためにも「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」(34節)と祈ってくださいました。イエスさまはその人々のためにも死んでくださり、その人々を救ってくださいました。イエスさまの十字架の愛は広くて深いです。

(2022年11月20日 聖日礼拝)


2022年11月13日日曜日

復活の意味(2022年11月13日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 518番 主にありてぞ
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん





「復活の意味」

ルカによる福音書20章27~40節

関口 康

「すべての人は神によって生きている」

今日の聖書の箇所は、ルカによる福音書20章27節から40節です。この箇所の解説に入る前に申し上げたいのは2週続けた特別礼拝のことです。

先々週「永眠者記念礼拝」を行い、また先週「昭島教会創立70周年記念礼拝」を行いました。出席者は40名と60名。延べで100名。平均すれば50名。今日から通常礼拝です。

2つの特別礼拝に共通しているテーマがあります。しかもそれは70年という長さの歴史を経て来たゆえに共通しはじめたテーマです。「教会の歴史を祝うこと」と「信仰をもって召された先達がたを記念すること」は、全く同じではないとしても、かなり重なってきたということです。

先週「昭島教会創立70周年記念礼拝」で井上とも子先生が宣教で、わたしたちが毎週日曜日の礼拝のたびに唱える信仰告白としての使徒信条に出てくる言葉について解説してくださいました。それは「われは…聖なる公同の教会…を信ず」についてです。特に強く教えてくださったのは、父なる神とイエス・キリストを信じることと等しい重さで「教会」をわたしたちの信仰の対象と受け入れることの大切さです。

わたしたちにとっては、なかなか受け入れにくい教えです。なぜ受け入れにくいかといえば、教会は「人の集まり」だからです。使徒信条の「教会を信じる」は、教会の人々を神と等しい存在として信仰しなければならないという意味なのかと疑問を持つ方々が必ずおられるでしょう。

人間につまずいたから、人間に傷つけられたから、人間に嫌気がさしたから、教会に来ましたという方々がおられます。しかし、教会に来て「教会を信じなさい」と言われるならば、結局は「人間を信じなさい」と言われているのと同じように感じます。

実際に、教会で傷つけられたことがあります。わたしはこれからどうすればいいのでしょうかと絶望の声を聞くことがよくあります。私も理解できるし、共感できます。しかし、そういう方々のために「教会」があります、ぜひ「教会」に来てくださいと申し上げたくて仕方がありません。

今日の箇所にイエスさまとサドカイ派の人たちのやりとりが出てきます。新約聖書に描かれた西暦1世紀のユダヤ教においてサドカイ派はファリサイ派と並ぶ2大勢力のひとつでした。この2つのグループは対立関係にありました。

両者の違いはいろんな点に現われました。そのひとつが「死者の復活」の教えに対する立場の違いでした。ファリサイ派は「死者の復活」を信じていましたが、サドカイ派は信じていませんでした。ファリサイ派が「死者の復活」を信じていたということは、「死者の復活」を信じる宗教はキリスト教だけではなくユダヤ教もそうであることを意味します。しかし、今日の箇所に登場するのは「死者の復活」を信じないほうのユダヤ教のサドカイ派の人々です。

その人々がイエスさまのところに来て質問しているのは、旧約聖書の律法の解釈についてです。しかし、これは明らかに、イエスさまの教えをあざわらうことを最初から意図した質問であると考える解説者がいます。私も同意します。全く可能性がないとは言い切れないかもしれないけれどもいかにも極端な例を持ち出してイエスさまに突きつけて、どうだ、あなたの教えからその例の答えを見出そうとしても無理だろう、矛盾があるだろうとイエスさまに言うために不遜な態度で寄ってきた人たちだということです。

「ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない」というルールは、申命記25章5節に出てきます。古代社会の家族観を反映しているとしか言いようがありません。しかしサドカイ派の人たちが持ち出したのは、いちばん上の兄から順に7人の兄弟と結婚することになり、なおかつどの夫との子どもも生まれなかった、つまりその家族の跡継ぎをもうけなかった女性は、復活したときだれの妻なのかという問題です。

先ほども言いましたが、これはイエスさまをからかうために言っていることなので、真面目ではありません、ふざけています。子どもが生まれるか生まれないか、だれがだれと結婚するかというような問題はきわめてデリケートで深刻な内容を持っているのであって、ふざけてうんぬんしてよいようなことではありえません。

イエスさまもそういう手合いは相手にしなければいいのですが、そうではないのがイエスさまらしさです。きちんとお答えになりました。イエスさまのお答えは次の通りです。

「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである」(34~36節)。

イエスさまがおっしゃっているのは、次のような意味です。

(1)結婚制度は地上の世界だけのものなので、亡くなった人はその制度から解放されている。

(2)なんぴとも、亡くなった後で、地上の世界以外のところで別の人と結婚することはない。

(3)なんぴとも、亡くなった後で、跡継ぎをもうけることはありえない。

私はイエスさまのこのご説明が面白いと思います。ユーモアすら感じます。サドカイ派は下品な態度でからかいに来ているのに対し、イエスさまが誠実さとユーモアがある姿勢で反論されている気がします。結婚制度が地上の世界だけのものだという点は、神の国(天国)においては、男女の関係は兄弟姉妹の関係のようになる、という教えとおそらく関係しています。

なぜ亡くなった後で跡継ぎをもうけないのかといえば、天国に入った人はもう二度と死なないからです。死ぬのは1回きりです。死が繰り返されることはありません。跡継ぎが必要なのは、人が死ぬからです。もう死なないのであれば、跡継ぎは要りません。死んだあとに恋愛したり、失恋したりすることもありません。

そのことと関係してくるのが、イエスさまが28節でおっしゃっている言葉です。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである」とおっしゃっています。

なぜ神は人を復活させるのかといえば、それが神の本質だからです。神は「生きている者の神」(28節)なので、死んでしまった人と神はかかわることができなくなるので、それでは困るので、神は死んだ人を復活させて、永遠に関係し続けてくださる、ということです。

人間の視点からいえば、特に熱心な信仰の持ち主は、神に仕え、神のために奉仕しつくして、神のために死ぬのが本望だという考えになりがちですが、神の視点からいえば、神は人に生きてもらいたいのです、死んでもらいたくないのです。死んでもよみがえらせてくださるのです。

わたしたちの悩みの多くは、最も身近な人に関するものです。恋人、夫婦、親子、家族、親戚。イエスさまの教えは、わたしたちが悩んで落ち込んでいるときに明るい光を与えてくださいます。

(2022年11月13日 聖日礼拝)