2023年7月30日日曜日

苦しみの意味(2023年7月30日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 460番 やさしき道しるべの

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「苦しみの意味」

ペトロの手紙一3章13~22節

関口 康

「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい」

来週8月6日(日)は日本キリスト教団の「平和聖日」です。78年前の1945年8月15日の日本の敗戦を想起し、戦争反対を貫き、平和のために祈るために「平和聖日」が設けられました。

来週の「平和聖日」の礼拝で取り上げる聖書の箇所を本日の週報で予告しています。ローマの信徒への手紙12章9節から21節です。その箇所の冒頭の12章9節以下に「悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」と記され、14節に「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません」とあり、さらに17節に「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい」とあります。

ローマの信徒への手紙の著者は、使徒パウロです。その中でも特に「悪を憎み、迫害する者のために祝福を祈りなさい」という教えは、イエス・キリストの「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5章44節)という教えの系譜につながるものです。

そのように考えて、私は来週の「平和聖日」の宣教題を「悪を憎み、敵を愛しなさい」とさせていただきました。あえて分けるなら前者の「悪を憎みなさい」のほうは使徒パウロの言葉であり、後者の「敵を愛しなさい」のほうは主イエス・キリストの言葉としてマタイによる福音書の著者マタイが書いた言葉であるという違いがあります。しかし出所が違う2つの言葉をひとつなぎにしたのは、両者の教えの間に何の矛盾もないことを言い表したいからに他なりません。

ここまで申し上げたのは、来週の「平和聖日」の聖書箇所についての予告です。今日の箇所は主イエス・キリストの言葉でも使徒パウロの言葉でもなく、使徒ペトロの言葉です。先ほど朗読していただいたのはペトロの手紙一3章19節以下ですが、少し前の3章8節には「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」と記されています。これも、主イエス・キリストの教えとも使徒パウロの教えともつながる、同じ系譜の教えであることは明らかです。

そしてその教えの流れの中に今日の朗読箇所があります。「もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません」(13~14節)とあり、さらに「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が悪を行って苦しむよりはよい」(17節)とあります。

今日の問題は、たったいま読んだばかりのペトロの手紙一3章17節の「善を行って苦しむ方が悪を行って苦しむよりはよい」という言葉の意味は何か、ということです。それを考えるための材料または土台として、先ほどは主イエス・キリストの言葉と使徒パウロの言葉を紹介しました。

主イエス・キリストと使徒ペトロと使徒パウロという3者の教えが本質的に一致していて全く矛盾がないとすれば、新約聖書の教え、ひいては二千年のキリスト教の教えとして確定したものだと言えるかどうかは、よく考えなければならないことです。

なぜそう言わなければならないかといえば、「悪を憎みなさい」という教えも「敵を愛しなさい」という教えも、たとえそれがイエスさまの御言葉であろうとだれの言葉であろうと、わたしたち自身が日々営んでいる現実の生活とその中で形成される生活感情が、その教えを拒絶し、生理的な不快感や反感を抱き続けるかぎり、それは決してわたしたち自身の心の中で納得し、受け入れ、喜んで従う教えになることはありえないからです。聖書と教会の教えは、現代社会においては、どこまで行っても参考意見にすぎず、不服であれば拒否すれば済むことだとみなされています。

今日の問題が「善を行って苦しむほうが、悪を行って苦しむよりはよい」の意味は何かであると先ほど申しました。この言葉で分かる一つのことは、苦しみそのものが悪ではないということです。わたしたちは、人から苦しめられること、あるいは自分自身に原因や発端が無いと感じることで苦しむ経験をするとどうしても、苦しみそのものが悪であるかのように感じてしまいます。私自身はどこまで行っても善であり続けているのに対し、あくまでも私を苦しめる人/事/物が悪であると言いたくなります。しかし、そうではないということを17節の言葉が教えています。悪を行って味わう苦しみとは区別される、善を行って味わう苦しみがある、というのです。

この意味での「善」が「悪を憎むこと」と「敵を愛すること」を少なくとも必ず含んでいることは明らかです。具体例を挙げれば、すぐ分かることです。

悪を憎めば、たちまちわたしたちに苦しみが襲いかかってきます。政治の問題、社会の問題、経済の問題、そして信仰の問題においても、正義に反すること、すなわち「悪」が行われる場所や状況は、ほとんどの場合、光のもとではなく、陰や闇に隠れています。それを明るみに出そうとすると、必ずや激しい抵抗にあい、抹殺されかねませんので、その抵抗や殺意に堪えなくてはなりません。それが悪を憎み、善を行って苦しむことの意味です。

敵を愛すれば、味方が敵になりかねません。敵でなかった相手から敵視され、拒絶され、孤立する可能性が生じます。たとえイエスさまが「敵を愛しなさい」とおっしゃったとしても、味方を失いたくないから、仲間外れにされるのが嫌だから、孤立するのが怖いから、そのこと自体が苦しみだから、苦しみそのものが悪だから、私は敵を愛することなどできないし、自分のことを愛してくれるほんの一握りの人たちとだけ一緒に生きていきたいと願うなら、「善を行って苦しむこと」になっていないと言われても仕方がありません。

今日の箇所の後半、特に18節から始まる箇所に、イエス・キリストが十字架のうえで味わわれた苦しみの意味が記されています。「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」(19節)と記されているのは、旧約聖書のノアの洪水物語(創世記6~9章)で、箱舟に入らず滅ぼされた人たちのところまでイエス・キリストが行かれ、福音を宣べ伝えられた、ということです。それは、イエスさまが地獄の底まで罪人を追いかけて愛してくださった、という意味になります。イエス・キリストは、悪を悪でないと白黒を差し替えるのでなく、悪を憎んだうえで、敵をどこまでも愛し抜くために、十字架のうえで地獄の苦しみを味わわれました。

「わたしたちは罪ある人間なのであって、イエス・キリストではないのだから、敵を愛することなど絶対できない」と言い張り、善のために苦しもうとしないわたしたちのためにイエスさまが苦しみの模範を示してくださいました。

実際には、イエスさまの教えのとおり「敵を愛すること」なしに、戦争が終わることも平和が実現することもありません。敵を愛する苦しみは、愛さないで苦しむよりはよい。どれほど堪えがたかろうと、憎い相手を受容し、共存する道を探ることが、わたしたちに求められています。

(2023年7月30日 聖日礼拝)

2023年7月23日日曜日

罪人にして、同時に義人(2023年7月23日)

 

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 402番 いともとうとき


「罪人にして、同時に義人」

ルカによる福音書10章25~37節

秋場治憲

「そして、翌日になると、デナリオン銀貨2枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います』」

 ここのところヨハネ福音書を読み進んで参りましたが、今日はルカ福音書をテキストと致しました。これは宣教題かテキストか、どちらかが間違っているのではないかと思われた方もおられると思います。この題であるならパウロのローマ人への手紙こそ、相応しいのではないかと思われた方もおられることでしょう。今日はこの「善いサマリア人」の譬えの後半部分に焦点を当ててみたいと思います。今日このテーマについてお話ししようと考えたのは、前回の宣教からしばらくして、ある方から「罪人にして、同時に義人」ということについてもう少し説明してほしいという依頼があったからです。確かに振り返ってみると、少々説明不足であったと思い、今日はこのことを中心にお話しをしようと思った次第です。このテキストを選んだのは、宿屋のベットの上で、その痛みに呻きながらもサマリア人の約束の言葉に信頼して横になっているであろう旅人の姿に、私たちキリスト者の姿が重なったからでもあります。

 今日の「善いサマリア人」のお話は、「ある人がエルサレムからエリコに降っていく途中、追はぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。」そこへ祭司が下ってきたが、道の向こう側を通って行った。そこへ今度はレビ人がやってきたが、その人を見るとやはり、道の向こう側を通って行った。祭司は勿論のこと、レビ人も神殿に仕える役職の人です。いずれもエルサレム神殿で中心的な役割を果たしている人たちが、この傷ついた旅人を無視して通り過ぎた後、今度は当時ユダヤ人とは敵対関係にあったサマリア人がやってきた。ところがこのサマリア人は、「そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」私はここの個所を読むと、主イエスがヨハネ福音書13章で弟子の足を洗う時の描写を思い出します。主イエスは「御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」主イエスの一つ一つの動作が実に丁寧に描写されていて、その時の情景が目に浮かぶようです。 今日のテキストであるサマリア人の描写も、その手当の描写だけでこの傷ついた旅人を思いやる思いが伝わってきます。聖書を読むときに、私たちは書いてある内容に注目しますが、内容だけでなくその描写の仕方にも注意して読むと言外のニュアンス、著者の思いに気づかされることがあります。

 さて前置きが長くなりましたがこのサマリア人、ご自身が座すべきロバの背に、この傷ついた旅人を乗せ、ご自身はほこり舞いあがる道を歩いて宿屋に向かいました。そして恐らくは翌日まで看病し、「翌日になると、デナリオン銀貨2枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』と言って旅立った。これは言葉を変えると、「この人の傷が完全に癒されるまでに必要なすべての代価は、私が払います」といっているのです。そしてこの旅人の介抱を宿屋の主人に依頼し、旅立ちました。この約束の言葉をベットの上で聞いていた旅人は、自らの傷が治るまでの必要な代価の心配をする必要がないというサマリア人の言葉に励まされ、その約束に涙しながら感謝し、その約束された癒を待ち望みつつ療養生活を続けるのではないでしょうか。またその間、その傷が悪化することのないように、自らの健康を損なうようなことは控えるのではないでしょうか。ルターはローマ書講義の4:7の講解において、この「善きサマリア人の譬え」に言及し、このサマリア人と旅人の関係を医師と患者の関係に例えています。この旅人は現実には半死半生の状態で、宿屋のベットの上に横たわる者ですが、この医師の約束の言葉を信じる限りにおいて、すでに希望において、健康な者とされ始めているというのです。医師はこの病は「死に至る病」ではないという言葉によってすでに、彼を癒し始めているのです。それでは彼はすでに健康な者なのかというと、そうではない。彼は病人でありながら、確かな約束によって癒され始めている人なのです。これをルターは「罪人にして、同時に義人」と表現したのです。

 ルターはそのローマ書講義の中で、アウグスチヌスとアンブロシウスの言葉を引用して、自分が罪についていかに無知であったかということを述べている箇所があります。二人とも4世紀の教会教父と呼ばれ、カトリック教会ではルターの時代にも「聖人」とされていた人たちです。まずアウグスティヌスが「罪は洗礼によって赦されるが、その結果、罪は存在しなくなるのではなく、帰せられなくなるのである」と述べています。またアンブロシウスは「私は常に罪を犯す、だからいつも聖餐をうける」と述べています。しかしルターは自分は愚かにも、二人のこの言葉を理解することができなかったと語り、また自分が懴悔し告白した時に、どうして自分を他の人と同じ罪人と考えなければならないのか、どうして自分を他の誰よりも優っていると考えてはならないのかを理解することが出来なかったと述べています。つまりルターは懺悔し告白した時には、内面的な罪も含めて一切の罪は除去され、一掃されたと思っていたというのです。

ルターのこの体験は500年前のことですが、これは今の時代においても時として、キリスト者を、またキリスト教を学び始めた者を悩ませることでもあります。ルターは「罪の赦しは確かに真実であるが、しかし罪の除去ということは、希望の中にあることであって、今後罪として帰せられなくなるということを知らずに私は自分自身と格闘していた。」と述べています。今の我々には自明のことのように受け止められていることも、ルターのこのような格闘の結果得られた理解であるということにも思いを馳せたいと思います。

 宿屋のベットの上で横になっている旅人に今一度注目してみますと、彼は現実には半死半生の病人です。しかし彼は同時に、自分をあたかも既に健康な者とみなしたもう方を信じることによって、彼は病人であると同時に、健康な者とされているのです。従ってこの旅人が、万一自分をあたかも健康な者とみなしたもう方から目をそらしますと、そこには半死半生の状態でベットの上に横たわる自分の姿しか見えず、たちまちにして恐れと不安と恐怖にさえ包まれてしまいます。このことをパウロは「私はなんというみじめな人間なのだろう。だれがこの罪のからだから、私を救ってくれるだろうか。私たちの主イエスキリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、私自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのです。[1](口語訳)と告白しています。信仰と不信仰は常に表裏一体をなし、私たちの信仰生活に緊張感を与えています。

この私たちの信仰生活の緊張感に対してルターは注目すべき言葉を残しています。「私たちは現実には罪人ですが、神の確かな認定と約束によって義人なのです。つまり(終わりの日に)完全に救われるまでは、この約束によって救われた者とされているのです。またこのことにより、彼は希望においては、完全に救われているのです。彼は実際には罪人ですが、常に自分が不義なる者であることを知って、常に自分が救われることを願い求めるために、(繰り返し)義(とされるため)の開始(出発点)を与えられている。」前回でしたか、復活した主イエスが、弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けよ」と言われたことを思い出して下さい。私たちは何度でもよみがえる、と言ったと思います。そのニュアンスを汲んでいただければ幸いです。

 キリスト者というのは、not in being but in becoming というルターの言葉を紹介致しましたが、キリスト者は常にこのbecomingの出発点に立つ者なのです。「もう半世紀もキリスト者をやっているのに、ちっとも成長しない」、という言葉も耳に致しますが、そうではない。それこそ正にキリスト者の真の姿というものなのです。私たちは常にこの出発点に戻されつつ、前進させられていくのです。

パウロが「私は、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、私自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。[2]」と、キリスト者が常に過程の中に、途上にあることを力説しています。神は自分の罪を告白し苦悩する者を義と認めたまいますが、自ら義人であると考える者は罰し給うのです。

その過程は、またその途上は、キリスト・イエスによって捕らえられている過程であり、途上であるというのです。様々な人生の困難に打ち砕かれ、悩みながらも出発点に戻され、新たな一歩を踏み出すという過程を繰り返すうちに、私たちのうちにも知らず知らずのうちに、「艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っている。[3]」という年輪が刻まれてきていることに気づかされる者です。

 さて今一度今日のテキストに戻りたいと思いますが、このサマリア人は翌日になると、デナリオン銀貨2枚を宿屋の主人に渡し、この傷ついた旅人の介抱を依頼し、「もし費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」と言って旅立った。古来この宿屋は、「教会」と理解されてきました。今日はルターの引用が多くて恐縮ですが、次の言葉は、ルターが教会について述べた言葉です。

 「従ってこの世の生は罪からの癒しの生である。(この世には)癒しが完了し、健康が獲得された罪のない生というものは存在しないのです。教会は病人及び介護を必要とする者たちの宿屋であり、病院なのです。天国は確かに健康とされた者たち、義とされた者たちの宮殿です。聖ペテロが第一ペテロの手紙の終わりに(正しくは第二ペテロの手紙3:13)「主は義とされた者たちにおいて、義が住む新しい天と新しい地をつくりたもうことだろう[4]。」と言っている通りだ。しかしこの世にはいまだ義は住んではいない。しばしの間、彼らのために、罪から癒されるための宿屋を提供しているのです。[5]」ということは、もし私たちが自分の義が完成されること、自分の中の罪が完全に廃棄されることを祈るなら、それは同時に私たちのこの世の生が終わることをいのることになります。それゆえに私たちはこの世にある限り、罪人でありながら、神がその罪を告白する者を義としてくださることを信じて生きるということなのです。

 教会は主イエスからこれら病人、介護を要する人たちを委託されているのです。先週の関口先生の宣教の中でも、ルターのガラテヤ書講義からの引用がありましたが、今一度読んでみたいと思います。

「愛するということは、詭弁家たちが想像するように、他の人のためによいことを願うことではない。 他の人の重荷を負う、すなわち、あなたにとって大変な、できれば負いたくないものを負うということ である。それだから、キリスト者はがっちりした肩と力強い骨を持って、兄弟たちの肉、すなわち弱さ を負うことができるようであるべきである」(『ルター著作集 第二集』第 12 巻「ガラテヤ大講解下」 徳善義和訳、1986 年、400 頁)。

 ここには私たち自身が介護を必要とする者でありながら、また罪に打ち勝ち、死に打ち勝ち、父なる神の怒りに打ち勝って、よみがえった主イエスの霊によって満たされている者たちは、がっちりした肩と力強い骨を与えられているのだから、そうでない者たちの弱さを少しでも担う者であろうではないかというのです。この物語の最後は「行って、あなたも同じようにしなさい。」という言葉でしめくくられています。私たちが主と仰ぐ方は、私たちの最大の重荷ともいうべき死を、代わって引き受けてくださった方なのですから。

 私たちの神は、「神は愛である」と言って、一人いと高き所で燦然と輝いていたもう方ではなくて、ベツレヘムの馬小屋に「その独り子をお与えになった」方であり、この方はスカルノ井戸辺で渇きも忘れて、サマリアの女を諭された方であり、弟子たちの足を一人一人洗い、手ぬぐいで拭われた方であり、傷ついた旅人の傷口にぶどう酒を注ぎ、油を塗り、包帯をして、ロバの背にのせ、宿屋へと運び、看病される方であり、またその傷が完全に癒されるまで、この方が我らと共に道行きたもうというのです。だから私たちは何回転んでも、また起き上がることができるのです。それは先に見たように、イエス・キリストに捕らえられた道行きだから、私たちには確かさ(平安)がある。私たちが捕らえている確かさでは、心もとないかぎりですが、捕らえられている確かさがある。これが主イエスが「私はあなた方に平安を残していく」と言われたこと。

 ちょうどこの宿屋のベットに横たわる半死半生の旅人の中では、古き人と新しき人が同居しているのです。ここには自らを不義なる者と告白する者の呻きがあり、そして義とされることを求める不断の祈りが生まれます。そしてこのことがアダムの子孫であり、カインの末裔と言われる私たちが、審判から恵みへ、死から命へ、滅びの子から神の子とされるに至る道に我々を伴いたもうというのです。信仰によって生きるとは、目に見えることによって歩むことではなく、目に見えないことによって歩むこと。これは大変なこと。しかし同時にこの世界は、若者は幻を見て喜び、老人は夢を見て歓喜するという心躍る世界に羽ばたくことでもある。

それ故に私たちは使徒信条で今一度「我は聖霊を信ず」と告白します。なぜなら私たちは自分の理性や力によっては、以下に続くことを信じることは出来ないからです。

かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたもうその日まで、我は聖霊(罪に打ち勝ち、死に打ち勝ち、父なる神の怒りにも打ち勝ち、よみがえられた主イエスの霊)に励まされながら、我らの歩みを進めて参りますと告白できること自体が既に奇跡なのです。聖霊の働き、語りかけなくして、この告白はできないことなのです。

この後に聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、永遠の命を信ずと続きます。これらはCREDO(私は信じます)という現在形の動詞の目的語になっています。今現在私は~のことを信じますという信仰告白を私たちは毎週しているのです。これらはいずれも神が私たちに信じることを望んでおられることです。使徒信条の完了形で書かれた出来事と未来形で書かれた出来事の間に生きる現在形であらわされている事柄、神が私たちに信じることを望んでおられる事柄です。これらのことは少しづつ学んでいきたいと思います。

「罪人にして、同時に義人」とは、私たちは現実には罪人であり、罪人に過ぎないのですが、神の認定によって義とされていることを信じて生きるということ、それは同時に心躍る世界に羽ばたくことでもあるということを学びました。



[1] ローマ人への手紙7:24,25

[2] フィリピの信徒への手紙3:12~14

[3] ローマの信徒への手紙5:3~4

[4] 「しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(新共同訳 2ペテロ3:13)ルターの「つくりたもうだろう」は未来形、聖書の「待ち望んでいるのです」は現在形で、言葉も違っています。ルターが自由に聖書を引用している様子がうかがわれます。それでも言わんとしている内容は変わりません。

[5] ローマ書講義4:7の講義より私訳。

(2023年7月23日 聖日礼拝)

2023年7月16日日曜日

重荷を負う務め(2023年7月16日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


讃美歌21 226番 輝く日を仰ぐとき 


「重荷を負う務め」

ガラテヤの信徒への手紙6章1~10節

関口 康

「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、霊に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気を付けなさい。」

今日の聖書箇所は、使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙6章1節から10節です。この箇所を理解するために大事な点は、パウロが書いていることはすべて教会の内部のことであるということです。一般論ではありません。この箇所は教会の中で読まれ、教会の中で出会う様々な出来事と結びつけて理解されるとき初めて、意味が分かるようになります。

ご承知のとおり私は4年半前の2019年4月から明治学院中学校東村山高等学校(東京都東村山市)で聖書科非常勤講師をしています。学校の授業で繰り返し言ってきたのは「学校は教会ではない。学校は学校である。教会は教会である」ということです。私の授業に出席した生徒は覚えているでしょう。

私がそれを言うのは「なぜ自分はクリスチャンでもないのに聖書を読まされて、期末試験を受けさせられて成績まで付けられるのか」と思っている生徒がいるからです。説明する必要があります。

しかし、だからといって私は、教会と学校とで、人が変わったように変貌するわけではありません。そのようなことはできませんし、したくありません。それでも学校の授業が成り立っているということは、教会と学校の間で通じ合う点があることを意味していると、私なりに理解しています。

さて、今日はいつもと少し趣の違う話をさせていただきます。昭島教会を含む日本キリスト教団は歴史的にいえば、プロテスタント教会の系譜を受け継いでいます。プロテスタント教会のはじまりが16世紀のドイツの宗教改革者マルティン・ルターの名前と結びつくことは確実ですが、スイスの宗教改革者ジャン・カルヴァンの存在も忘れることができません。

そこで今日はルターとカルヴァンが今日の箇所、特に6章1節と2節について何を書いているかをご紹介したいと思い、準備してきました。両方とも日本語版があり、多くの人に読まれてきました。

パウロは2000年前の人です。ルターとカルヴァンの時代は500年前です。パウロと比べて1500年分はわたしたちに近い感覚の持ち主たちです。本を読んで理解可能な要素があると思います。

今から14年前の2009年に「カルヴァン生誕500年記念集会」が日本で行われました。開催委員会の書記は私でした。会場は東京神学大学(東京都三鷹市)を借りました。参加者約200人。カルヴァン生誕500年祭は世界中で行われました。その後、今から6年前の2017年に「宗教改革500年記念集会」が、これも世界中で行われました。ルターが1517年10月31日にドイツ・ヴィッテンベルク城教会に95か条の提題を貼りだしたときから数えて500年を記念したものです。

ルターのほうから紹介します。今日の私たちのテキストであるガラテヤ書6章1節についての解説文だけで、日本語版で9ページ分も割かれていました。どういう内容かといえば、ルターの論争相手だった当時のローマ・カトリック教会の人たちが、このガラテヤ6章1節の言葉を用いて、教会の中で大事なのは「柔和な心」なのだから、ルターが問題にしているような教会の教義上の小さな問題に振り回されて教会の一致と平和を乱すべきではないなどと説教しているが、それは断じて違う、という趣旨のことを日本語版で9ページ分も書いています。よほど腹に据えかねる事件があったのではないでしょうか。ルターの立場からすれば、今日の箇所の「柔和な心」は、読み方次第で諸刃の剣になる、ということです。真理を語り、正義を貫こうとする人々の口封じの一手になりえます。

しかし、そのルターが、次のガラテヤ6章2節について書いている言葉は重くて深くて温かいです。「愛するということは、詭弁家たちが想像するように、他の人のためによいことを願うことではない。他の人の重荷を負う、すなわち、あなたにとって大変な、できれば負いたくないものを負うということである。それだから、キリスト者はがっちりした肩と力強い骨を持って、兄弟たちの肉、すなわち弱さを負うことができるようであるべきである」(『ルター著作集 第二集』第12巻「ガラテヤ大講解下」徳善義和訳、1986年、400頁)。

ルターが述べているキリスト者が持つべき「がっちりとした肩と力強い骨」は、もちろん比喩です。心の問題であり、信仰の問題です。

カルヴァンは何を書いているかを、次にご紹介します。だれが言い出したか、ルターは豪放磊落な人だったのに対し、カルヴァンは学者肌で神経質で厳しい人だったというような評価があるようですが、今日はぜひそのピリピリした評価を吹き払えるようなカルヴァンの良い面をご紹介したいです。

ガラテヤ6章1節についてカルヴァンは、人の心の中の「野心」の問題から書き起こしています。ただし、これもルターと同様、あくまでも教会の内部の話です。人に野心がある。外見上は熱心のように装いながら、実は傲慢で、他人を軽蔑したり侮辱したりしている。他人の欠点を見つけると、それを材料にいつでもその人を抗議できると考え、ますます追い打ちをかける。野心があるゆえ相手を非難することに熱心だからそういうことになると、カルヴァンは書いています。

しかし、カルヴァンはこのことを、自分自身を棚に上げて言っていません。それが大事です。教会の中で起こる問題を扱っていることは明らかですし、カルヴァン自身も当事者のひとり、ないし代表者として、自分の胸に手を当てながら書いている文章だと思います。

そして、とても素敵な言葉がありました。「酢の中には油も混ぜておかねばならない」(『カルヴァン新約聖書註解』第10巻「ガラテヤ書・エペソ書」森井真訳、新教出版社、1962年、135頁)。

私はいま毎日自分で食事を作っているので、この意味が分かりました。ここで「酢」の意味は、人の過ちを非難する辛辣な言葉です。酢は生のままで飲むと焼け付いたように喉がしびれます。しかし、「酢」に「油」を混ぜると美味しいドレッシングになります。酢に卵黄と塩を加えて泡立てながら油を少しずつ加えると、美味しいマヨネーズになります。いろいろ混ぜると酢は人に優しくなり、肉も野菜も美味しくなります。カルヴァンが書いている意味は、きつい言葉は控えるべきだ、ということです。

そしてカルヴァンは、この箇所の解説で「キリスト教的な𠮟責の目的」は、「倒れたものを引き立て、建て直すことであり、すなわち、まったく回復させることである」(同上書、同上頁)と書いています。

6章2節についてカルヴァンは、「パウロは我々の弱さや悪徳を『重荷』と呼んでいる」と解説したうえで、次のように書いています。「他人の重荷を背負うことをパウロが命じているのは、むしろ我々が自分の荷をおろすためである。それは、柔和で友情に満ちた正し合い(日本語版「矯正」)によって初めてなしうることである」(同上書、137頁)。

わたしたちの教会が「自分の荷をおろせる」教会であるかどうかは、わたしたちに任されています。人の重荷を背負う務めが教会にあると言えますし、それが教会の存在理由であるとも言えます。野心も、外見上の熱心も、傲慢も、わたしたちにこびりついた性質のようなものなので、努力や手術で取り除くことはできません。しかし、そのわたしたちの性質こそがイエス・キリストを十字架につけたのだと十字架を見上げて心を落ち着けることが大事です。最後に申し上げたのは、私の言葉です。

(2023年7月16日 聖日礼拝)

2023年7月9日日曜日

生命を重んじる(2023年7月9日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

旧讃美歌 532番 ひとたびはしにしみも



「生命を重んじる」

使徒言行録20章7~12節

関口 康

「人々は生き返った青年を連れ帰り、大いに慰められた。」

今日の聖書箇所について私が最初に申し上げたいのは、あくまで私個人の感想です。それは、この箇所の物語は、使徒言行録の中でだけでなく、新約聖書全体の中でだけでもなく、旧約聖書を含む聖書全体の中で見ても、違和感がある箇所だ、ということです。

今申し上げた点については、あとで再び取り上げます。その前に、もう少し大きな視野から、使徒言行録という書物を読む人が必ず引っかかる、ひとつの大きな問題を取り上げます。

それは、たとえば今日の箇所の7節に「わたしたち」という表現が出てきますが、これです。この「わたしたち」とは誰のことなのかが必ず問題になります。

もう少し詳しく申し上げますと、わたしたちが使徒言行録の最初の1章から最後の28章までを前から順々に読んでいきますと、最初のほうには出て来ない「わたしたち」を主語とする文章が16章10節から突然出てきます。「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」(16章10節)。

その後も、すべての文章が必ずそうであるわけではありませんが、かなり頻繁に「わたしたち」を主語とする文章が出てきます。共通しているのは、パウロを団長とする伝道旅行団のメンバーを指していると思われる点です。しかし、だからといって、使徒言行録の著者がパウロではないことは明白ですので、団長パウロが自分を含めた団員全員を指して「わたしたち」と書いているわけではありません。

使徒言行録の著者は、ルカによる福音書の著者ルカです。使徒言行録1章1節に「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して」とあります。また、ルカによる福音書1章3節にも「敬愛するテオフィオさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」と記されていて、ルカによる福音書と使徒言行録が同一の著者によって記された2巻本の書物だったことを明らかにしています。

しかし、いま申し上げたことと、だからといって使徒言行録16章10節から出てくる「わたしたち」の中に、必ずルカが含まれていると考えることができるかどうかは別問題です。

パウロ団長率いる伝道旅行団の行き先を挙げていきますと、マケドニア、アカイア、エフェソ、ミレトス、そしていったんエルサレムに戻ります。そのあいだは繰り返し「わたしたち」を主語とする文章が出てきます。しかし、その後パウロが逮捕されて捕虜としてローマに連行されます。そのパウロが逮捕され尋問を受けている場面では「わたしたち」文はストップしますが、ローマに連行される最中と到着してからの部分で、再び「わたしたち」文が出てくると言った次第です。

それでは、それらすべての「わたしたち」文が出てくる箇所のすべての場面に必ずルカが同行していたと考えなければならないかというと、そうとは言えません。すべての箇所にルカが同行していたと考える論理的可能性が全くないわけではありませんが、そのように考えると矛盾する箇所がいくつも出てきます。

いまここで詳細な議論を説明することはできませんので、現時点で最良の結論を申し上げます。使徒言行録16章10節以降の「わたしたち」は、読者を物語の中に引き込むための文章表現上の工夫ないし技巧です。ドイツの新約聖書学者エルンスト・ヘンヒェン(Prof. Dr. Ernst Haenchen [1894–1975] )がそのように主張したと、私は別の資料で読みました。私もその線で納得します。

さて今日の箇所の内容です。ここに書かれているのは要するに、使徒パウロの説教が長すぎて、「ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった」青年エウティコが死んだので、パウロは説教をいったんやめて、エウティコのもとに駆けつけて抱きかかえましたが、そのときエウティコが息を吹き返したので「騒ぐな。まだ生きている」とパウロがそこにいた人々を制し、そのパウロがまた元の位置に戻り、さらに夜明けまで説教を続けてから出発したという物語です。

最後の12節に「人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた」と記されているので、物語自体はハッピーエンドであると言えば言えなくありません。しかし、このとき何が起こったのかを、それこそ「わたしたち」がこの物語の中に引き込まれて、パウロが延々と説教を続けて、死ぬほど眠くて、実際に死んでしまった人がいるほど人々を退屈させている場所に、わたしたち自身が居合わせていることを想像してみたとき、パウロがとった態度や言動に問題が全く無いと思えるかどうかを、ぜひ皆さんに考えてみていただきたいと私は思いました。

最大限にパウロの立場を擁護する方向で考えるとすれば、礼拝説教は最も大切なことであり、いかなる理由でも中断されるべきではないが、死者が出たのでいわばやむを得なく短時間の中断を余儀なくされたものの、エウティコがなんとか息を吹き返したので、その場にいた他のだれかにエウティコを任せたうえで、礼拝説教を続行したパウロは、神の言葉の説教者としての責任を果たすことにどこまでも忠実だったのだ、というふうに理解することも不可能ではないでしょう。

しかし、本当にそういう理解で大丈夫だろうかと私はどうしても気になります。パウロは説教者であるのと同時に牧会者でもあったはずです。一度は生命活動を停止した人が息を吹き返したからと言って、まるでそれはすでに終わったことであるかのように、そこにいた人に「騒ぐな」(黙れ)と一喝までして、エウティコを人任せにして、礼拝説教を続行するというのは、牧会者としてどうなのだろうと、疑問を抱く人がいてもおかしくないと、私には思えてなりません。

12節の「人々は大いに慰められた」というのも、一度は死んだエウティコを奇跡的によみがえらせたパウロの力に慰められた、という意味で書かれてはいません。あくまでも、エウティコが息を吹き返したことを神に感謝し、慰めを受け、喜んでいるだけです。

最初に申し上げた、この箇所に対して私が覚える「違和感」は、まさに今申し上げている点についてです。私にはこの箇所を書いているときの著者の心の中に、パウロがとった態度や言動に対する厳しい批判が含まれているように感じられます。著者ルカがこのときの事態について自分の意見を交えず、事実のみをたんたんと記していることが、かえって気になります。このときのパウロを皆さんはどう思いますかと、すべての読者に問いかけていると考えることが可能です。

今日の説教題を「生命を重んじる」としたのも、この点にかかわります。ひとりの人がわたしたちの目の前で突然亡くなった、緊急事態が発生した。それでも、なにがなんでも、礼拝と説教を続行することが、わたしたちのなすべきことかどうかは、わたしたち自身がよく考えるべきことです。私もいま「わたしたち」という言葉を繰り返して、みなさんを巻き込もうとしています。

「教会にとっていちばん大切なこと/ものは何なのか」を根本的に考え直す必要すら感じます。杓子定規は禁物です。柔軟で臨機応変な姿勢と対応が、わたしたちに求められています。

(2023年7月9日 聖日礼拝)

2023年7月2日日曜日

さらに開かれた教会へ(2023年7月2日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 405番 すべての人に



「さらに開かれた教会へ」

使徒言行録11章1~18節

関口 康

「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」

今日の聖書の箇所に記されているのは、イエス・キリストの十字架と復活、そして聖霊降臨の出来事を経て人類の歴史における最初のキリスト教会が誕生した紀元(=西暦)30年代からそれほど後に起こったことではないと思われます。10年から20年後くらいでしょう。

最初のキリスト教会の最初のリーダーになったのは、使徒ペトロです。教会ですからペトロを「初代牧師」と呼んでも大きな問題はないはずです。そして、最初の教会が置かれた出発の地はエルサレムでした。しかも最初のキリスト教会がユダヤ人中心の集まりだったことは確実です。ペトロや他の使徒、そしてイエス・キリストの死後に使徒になったパウロも、ユダヤ人でした。

だからといってユダヤ人でない人は、教会の仲間に加わることができなかったのかと言えば、決してそうではありません。「ユダヤ人でない人」のことを聖書は「異邦人」と呼びます。ただし、それは単なる民族や人種の問題ではなく、信仰の問題です。「異邦人」は、いわばもともと異教徒だった人です。その意味での「異邦人」に対して、キリスト教会は最初から開かれていましたし、今も開かれ続けています。

なぜそう言えるのかといえば、イエス・キリストが異邦人に対して開かれた姿勢を終始一貫、示されたからです。最初のキリスト教会も、歴史における教会も、さらに現代の教会も、それはわたしたちのことですが、その全員がイエス・キリストの弟子なのですから、イエス・キリストが示されたのと同じ、どんな人にも開かれた姿勢を持つ必要があります。

しかし、それは単純な話ではありません。哲学用語で「所与(しょよ)」という言葉があります。定義や説明は難しいですが、強く意識したり努力したりしなくても容易に得ることができる自明(=当たり前)の前提として、すでにあらかじめ先に与えられている事柄を指して言います。

たとえば、もしわたしたちが「教会はだれに対しても開かれた姿勢を持っている団体である」と言えば、「そんなことはない」と必ず反発されるでしょう。実態に即していないし、そうでない現実の中で苦しんだり戦ったりした経験を持つ人たちからすれば、虚偽でしかありません。いま申し上げたことを「所与」という言葉を用いて言い直せば、「どんな人に対しても開かれた姿勢を持つことは、教会にとっては必ずしも所与とは言えない」となります。

「所与」でないとしたら何なのかといえば「教会とはだれに対しても開かれた姿勢を持つべき団体である」ということです。つまり、そのことに対して強い意識や努力が必要であるということです。放っておいてもそうであるとか、自動的にそうであるというわけではありません。

事実は逆です。放っておくと教会はあっと言う間に閉鎖的になります。新しい考え方や新しいやり方を外部から持ち込まれることを嫌います。従来の方式を学び、なじみ、受け入れ、従ってくれる相手は歓迎しますが、そうでない相手は問答無用で拒絶します。

今申し上げているのは、教会がだれに対しても開かれた姿勢を持つことは「所与」ではなく、強い意識と努力が必要であると申し上げたことの意味を説明しているだけです。「そうだ、そうだ、そのとおり。教会は閉鎖的な団体だ」とシュプレヒコールがあがるとしたら、私は悲しいです。

現実の教会は、最初から今日に至るまでその努力を積み重ねてきました。何もしなかったとは言われたくありません。今ある教会の現実は、キリスト教史二千年の努力の結晶です。それでもなお、教会に閉鎖性ゆえの葛藤や対立があるとしたら、わたしたちの努力がまだ足りていないと言う他はありません。

「それはいくら努力しても無理なのだ」とあきらめて、放り投げて、新しい要素が加わることを拒否し、守りの姿勢に終始しようとするのは「もはや教会ではない」と言わざるをえません。

私はいま、今日の聖書の箇所の話をしようとしています。要するに何が書かれているかといえば、最初はユダヤ人中心だったキリスト教会でしたが、その後次第に異邦人が洗礼を受けて教会の仲間に加わり、その数が多くなった頃に、教会の中でユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が険悪な関係になり、対立し始めたという歴史的な事情と関係しています。

ユダヤ人と異邦人の決定的な違いは、生まれてすぐに割礼を受けたかどうかという外見で判断できるところがあります。割礼そのものは男性だけにかかわるわけですが、男性の性器の包皮を切り取る行為です。それをユダヤ人は、まさに「所与」として与えられていますが、異邦人ではそうではありません。

異邦人は割礼を受けることができないかというと、当時も今も変わりなく不可能ではなく可能です。しかし、成人になってからの割礼は、麻酔技術が発達している現代社会でならともかく、古代社会でそれをするとなると死ぬほどの苦しみを伴うことだったことは想像に難くありません。異邦人があえて割礼を受けようとすることは無かったと思います。

ところが、西暦1世紀の教会の中で、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が対立したときユダヤ人キリスト者の側が持ち出した論点が、要するに、我々はモーセの律法に基づく「割礼」を受けている、由緒正しい信仰の持ち主である、ということでした。それはつまり我々ユダヤ人キリスト者のほうが優位にあり、割礼を受けていない異邦人キリスト者は、我々と比べれば下位または劣位にある、ということでした。

そして、そのような考えを持っていたユダヤ人キリスト者が、ペトロがしたことを見たときに腹を立てました。ペトロがしたことは3節に書かれています。「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」。しかし、ペトロは事の次第を順序正しく説明して、理解を得ようと努力しました。

そしてペトロは結論的に言いました。「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」

この箇所がわたしたちに教えていることは、最初のキリスト教会が気づいたことは、わざわざ痛い目をしてまで異邦人たちが割礼を受ける必要は無いし、仮に割礼を受けたからと言って他の異邦人キリスト者より優れた信仰の持ち主とみなされて、より上位にいるユダヤ人キリスト者の仲間入りができるというような変化が起こるわけでもないということです。そもそも、ユダヤ人キリスト者が異邦人キリスト者よりも上位にいるかどうかも考え方次第の面がありますが、神の目から見れば大差ありません。

そもそも、あの人よりも私のほうが上だと競ったり争ったりすること自体が「もはや教会ではない」ということです。その結論にペトロもパウロも到達しました。

わたしたちも、「さらに開かれた教会」を目指すなら、この種の競争をやめることが最優先です。

とにかくみんな仲良くしましょう。幼稚なほど単純ですが、それがいちばん大事です。

(2023年7月2日 聖日礼拝)