2021年11月28日日曜日

神、我らと共にいます(2021年11月28日 待降節礼拝)

宣教「神、我らと共にいます」 秋場治憲(あきば はるのり)兄
讃美歌21 280番 馬槽のなかに 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3596号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「神、我らと共にいます」

マタイによる福音書1章18~25節

昭島教会 秋場治憲兄

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

今日はアドベント第1主日、アドベントの季節に入って迎える最初の聖日ということになります。では、そもそもアドベントとはいったい何なのだろうか、そういう疑問がわいてきます。アドベントというのはラテン語のadvenio(アドベニオー)という言葉に由来しています。これは「近づく」「到着する」「やって来る」という意味の動詞です。Ad というのは英語のtoに当たる言葉で~の方へ、~に向かってという接頭語です。これにvenio という「やって来る」という動詞がつながった形です。ではいったい何が何に向かってやって来るのか、ということになります。聖書は神の子が私たち一人一人を目指してやって来る、やって来たのだ、と宣言しているのです。

私たちはよく神とは何であるのか、とよく考える。哲学者たちも考える。では聖書は何と言っているのか。聖書は「神は愛である 」と証言しています。愛というのは一人では成立しません。そこには必ず「愛する者」と「愛される者」が大前提として含まれています。この関係から愛を切り離して、神だけを捉えようとするのが哲学であり思弁 と言われるものです。私たちはこの哲学的な思弁に引き込まれないように、気を付けなければなりません。神を客体化して眺めることはあっても、その神によって慰められたり、励まされることはない。キリスト教の神、聖書の神は「愛である」とは、必ずそこには相手がいるということです。そして愛するということは、その相手に連帯化するということ、その相手の立場に立つということです。「人間を愛する神」と「神によって愛される人間」が大前提として含まれているということです。

アダム以来罪の縄目に打ちひしがれている者たちを、神の子の義の衣をもって覆い、傷なき者、全き者として神の国に迎え入れるために、神の子が遣わされた。この神の子がやって来る、やって来たというのです。そしてマタイはこの神の子が旧約聖書の預言に従って、アブラハムの子、ダビデの子として、一人の乙女から誕生したと伝えています。

今日のテキストは「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。」という文章で始まります。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。」

さてこれは大変なこと。15、6歳の少女が、ある日突然妊娠していることが分かったというのです。現在の日本においてであっても、これは周辺を巻き込んだ大騒動になってしまいます。二千年前のユダヤの地においては、更に大変なことでした。旧約聖書の申命記に次のように記されていたからです。「ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない。 」と決められていたからです。マリアが妊娠していることが公になれば、彼女は間違いなく<石打ちの刑>に処せられる。

しかしマタイ福音書のマリアは、一言も発しない。驚きの言葉一つ発しない。夫ヨセフも同様に一言も発することはない。

マタイ福音書の降誕物語は、ただ淡々と粛々と神の計画が、遂行されていく様を私たちに伝えています。ここには人間的な何かが介入することを許さない、神の独占的な支配が全体を覆っています。

「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」

私はここを読んでいて、いつも不思議に思っていたことがある。マリアのことを表ざたにすることを望まず、ひそかに縁を切ろうとしたヨセフの正しさとはいったい何なのだろうか、という疑問です。

もしヨセフが当時の律法の基準、規範に従った正しい人であったなら、先ほど読んだ申命記の言葉に従って、マリアを告発することが正しい人として為すべきことであったはずです。正しい人ヨセフとひそかに縁を切ろうとしたヨセフはつながらないのです。ヨセフは今や律法の基準に従えば、正しくない人になることを決心しているのです。

もう少し詳しく見てみようと思い、英語の口語訳聖書ともいわれるRSV を開いてみました。中学生レベルのとても易しい英語です。

her husband Joseph, being a just man, and unwilling to put her to shame, resolved to divorce her quietly.  

私はこの英語の文章をノートに書き出して、しばし眺めてみた。ギリシャ語の原文も書き出してみた。そして驚いた。英語のand にもギリシャ語のκαι(カイ)にも 意外・対照的なことを述べる場合に使われて、「しかし」、「それにもかかわらず」と訳されることを思い出した 。

Being(現在分詞であった) a just(ジャスト 正しい) man(マン 人・男),  and

Δικαιος(ディカイオス 正しい)ων(オーン 現在分詞であった) και

ここでand、 και を「それにもかかわらず」、「それなのに」と訳したらどうなるか。ここには新しい世界が待っていました。もしここを口語訳や新共同訳のように「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」と訳すと、ヨセフは正しい人だったから正しい決断をしたということになり、ここには何の苦悩もなかったかのようです。しかしここを「夫ヨセフは正しい人だったが(それにもかかわらず、それだのに)、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」と訳してみると、正しい人、律法の人としてのヨセフが、律法の基準、規範に従えば、正しくない人に向かって舵を切る決断をした姿が浮き彫りにされてくるのです。わずかに「ので」と順接に訳すか、「が」と逆接に訳すかで、ここに大きな違いが生じるのです。ヨセフの苦悩は、今目の前にいる愛するマリア一人救い得ない自分の正しさとはいったい何なのか。律法の正しさが見えなくなり、それまで自分が信じて生きてきた土台が音をたてて崩れる。その中でヨセフは憐みの人、信仰の人としてぎりぎりの決断をするのです。これは後に姦淫の女を前にした時の主イエスと、同じ状況ではないか。ヨセフも主イエスもホセア書の「私が求めるのは憐みであって、いけにえではない。 」という言葉を思い出していたかもしれない。ヨセフは後に主イエスが「私もあなたを罰しない」という言葉の先駆けになっていると読むこともできる。

私達はクリスマスの物語の中で、ヨセフという人を付録のように扱ってはいないだろうか。マリアの命も御子イエスの命も、神の計画そのものも、一人ヨセフの決断にかかっていたことを覚えておくべきだと思います。

しかしヨセフはひそかにマリアを離縁することを決心したとはいえ、彼の心は揺れ動く。いずれマリアのお腹は大きくなり、周囲の人々の目につくようになる。当時の状況からして子を抱えたやもめが一人で生きていくことは、困難を極めることでしょう。旧約聖書には刈入れをした後の落穂は、残しておくようにという規定があるくらいです。ボアズの好意によりルツと姑ナオミは、沢山の落ち穂を拾うことができ、急場をしのぐことができたとルツ記に記されています。またヨセフに対してもマリアを孕ませた上で離縁した不誠実な男ということになる。いずれもヨセフが望むことではない。ヨセフは律法の正しさに不安を覚える。そしてマリアを生かす道、憐みの道を探った。

神様は時として私達に残酷ともいえるような事を命じられる。目の前に乗り越えるべくもない大きな山が立ちはだかる。いったいどうしてか。どうして自分なのか、何もかも投げ出したくなることがある。誰しもこういう体験が、一度や二度はあるものです。戸惑い、迷い、悩み、葛藤する。祈る以外に術はない。心が折れそうになっていたヨセフに、主の使いが夢に現れた。

「『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

「ダビデの子」が強調されています。バビロン捕囚、ギリシャのアレクサンダー大王、そしてローマ帝国に次々と支配され、蹂躙され、すでに国家の体をなさなくなっていたイスラエルにとって、残された希望はサウル王の後を継いで王となり、北のイスラエル、南のユダを統一し、北はレバノン山脈から、南部の砂漠地帯まで、ヨルダン川東西を幅広くその領土とし、外交、通商も活発になり、繁栄を極めたダビデ王の再来としてのメシア(救い主)を待ち望む以外になかった。それは主が預言者ナタンを通して、ダビデに約束したことでもありました。それは「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠る時、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者が私の名のために家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。 」それ故に「ダビデの子」なのです。

またここには何故イエスという名前がつけられたのかという理由が述べられています。イエスというのは旧約聖書のヘブル語ではヨシュア 、モーセの後を継いで約束の地に入った人です。出エジプトの完成者ということも出来ます。その人の名前がつけられ、「この子は自分の民を罪から救うことになるからである」つまり第二のモーセ(ヨシュア)として、イエス(ヨシュア)という名前がつけられたというのです。

またヨセフという名前もヤコブとラケルの間に生まれた子で、兄弟たちの妬みをかってエジプトへ売られていき、そこでファラオの夢を解き明かし、エジプトを飢饉から救い、ファラオの信認を受けて大臣に任命され、飢饉に苦しむヤコブ 一家の救出に決定的な役割を果たした人物です。創世記の物語と同じパターン(構図)が設定されています。是非このアドベントの季節に、創世記を読み直してみて下さい。

主の天使がヨセフにだけは、いつも夢で現れるのもうなずけます。ヨセフとは夢を解する人。ヨセフによって救われたイスラエルの家族が、モーセに率いられて、そのバトンを受け取ったヨシュアに導かれて約束の地に入るという構図がここにも出来上がっているのです。

「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる。」という意味である。

この引用句はイザヤ書7:14からの引用です。すでにご存じかもしれませんが、イザヤ書の「おとめ」は「アルマ―」というヘブル語で、必ずしも「処女」を意味しません。「若い女」「結婚適齢期の女」という意味です。「処女」を意味するヘブル語は別に「ベスラー」という言葉があるということです。ではマタイは何故処女を意味する「パルテノス」というギリシャ語をもちいたのでしょうか。

これは当時広く用いられていた七十人訳ギリシャ語聖書に原因があると言われています。イスラエルの民はバビロン捕囚の頃から世界各地に離散していきました。初代の人たちはヘブル語を解しても、代を重ねるごとに日常語がギリシャ語で、徐々にヘブル語を解することができなくなってきました。今日のテキストの23節の「インマヌエル」が「神は我々と共におられる。」と訳されているのも、ヘブル語を解さないユダヤ人たちへの配慮です。こういう人々のために紀元前2世紀から1世紀にかけて、ヘブル語聖書がギリシャ語に翻訳されました。この七十人訳聖書が広く用いられるようになっていました。この聖書でイザヤ書7:14の「アルマー(若い女)」は「パルテノス(処女)」という言葉に置き換えて訳されました。マタイが所属していた教会はアンテオケの教会であったと言われています。パウロやバルナバがここを拠点として、異邦人伝道 に出かけています。また困窮するエルサレム教会を助けたこと 、この地でキリスト者が初めて「クリスチャン 」と呼ばれたと使徒言行録は伝えています。ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第三の大都市であったことが報告されています。もちろんこの教会でも礼拝には、七十人訳聖書が用いられていました。マタイは処女降誕の信仰に立って、この七十人訳聖書から引用しているのです。

私たちは護教的立場に立って、これは間違いなく歴史的事実なのだと声を張り上げる必要はないし、またそんなことはあるはずがないと言って、距離を置くべきでもない。いずれも聖書の読み方としては、本筋をはずれています。これらの議論を踏まえた上で、神の御手が律法の人ヨセフに働き、憐みの人、信仰の人へと舵を切るヨセフの決断に向けて、強く、強く働いていたこと、そしてその同じ御手が私たち一人一人に向かって働いていることを深く心に刻み込むことこそアドベントの意味だと思うのです。

「ダビデの子ヨセフよ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」この言葉はヨセフに安堵と平安をもたらしたことでしょう。「インマヌエル、神我々と共におられる」という知らせを聞いたヨセフは、その不安と恐怖の中にくず折れそうになっているマリアをしっかりと引き受け、二人でイエスを生む決心をするのです。マリアはヨセフのこの決断に感謝したことでしょう。「何故だ」、「どうしてだ」「どうして自分が」という疑問に押しつぶされ、自暴自棄になるのではなく、その問いは横に置いといて自分の人生を受け入れ、自分の道を切り開こうとした時、神の御手が強く私たちに働きかけるのです。あきらめるのではなく、投げ出すのでもなく、今直面している問題を見据え、自分の進むべき道を切り開こうとしたこの二人こそ、博士たち、羊飼いたちに先んじて「神は我々と共におられる」というクリスマスの音信に感謝する者となったのです。あなたの罪は、失敗は、過ちは私が引き受けた。だから前を向いて進みなさい、というのです。私たちはいつまでも、汚れたおしめを取り換えてもらえないで泣いている赤子であってはならないというのです。

最後にマタイ福音書の最後を開いてみて下さい。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。 」

マタイ福音書はインマヌエルで始まり、インマヌエルで終わっています。私たちが神と共にではなく、神が私たちと共におられることを深く心に刻み、よき音づれに励まされながら、積極的に生きていく者でありたいと願うものです。

(2021年11月28日 待降節礼拝)

2021年11月21日日曜日

信仰を受け継ぐ(2021年11月21日 主日礼拝)

収穫感謝礼拝(2021年11月21日)
讃美歌21 358番 小羊をばほめたたえよ! 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

週報(第3595号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「信仰を受け継ぐ」

サムエル記上16章5b~13節

関口 康

「サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼(ダビデ)に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。」

先週の説教の冒頭で申し上げたことを繰り返します。いま私が毎週の聖書箇所を決めるために用いている日本キリスト教団聖書日課『日毎の糧』で、クリスマスの前に旧約聖書を取り上げることになっていることには意味があります。

イエス・キリストのご降誕をお祝いするのがクリスマスです。イエス・キリストのご降誕には旧約聖書に示された神の約束が実現したという意味があります。その意味を明らかにするために、クリスマスの前に旧約聖書を学ぶことが大事です。

信仰の父アブラハムから始まるイスラエルの歴史の中で待ち望まれたキリストが本当に来てくださったと、十字架にかかって死に、三日目に復活されたナザレ人イエスと初めて出会った人々が信じました。イエス・キリストは苗字と名前ではありません。「旧約聖書に約束されたキリストがこのイエスである。このイエスこそあのキリストである」という関係をあらわす言葉です。

「イエス」は固有名詞です。「キリスト」はいわば肩書きであり、職務です。「キリストという仕事」があるという意味になります。そのことを具体的にあらわすために、イエスとキリストの間に中黒(・)ではなく、等号(=)を書く人がいます。新約聖書の中にも「イエス・キリスト」という語順だけでなく、「キリスト・イエス」と逆になっている箇所があります(ローマの信徒への手紙1章1節、テサロニケの信徒への手紙一2章14節、テトスへの手紙1章4節など)。

しかし、日本語の旧約聖書のどこを開いても「キリスト」は出てこないではないかと思われる方がおられるかもしれません。それは日本語の聖書だからです。「キリスト」はギリシア語ですが、旧約聖書はヘブライ語で書かれました。ヘブライ語の「メシア」(マーシアハ)のギリシア語訳が「キリスト」(クリストゥス)です。メシアは旧約聖書に登場します。「旧約聖書にはキリストは出てこない」という説明は間違いです。しっかり登場しています。

しかも旧約聖書に「メシア」はたくさん出てきます。たとえば、今日開いている聖書の箇所にまさに出てきます。旧約聖書の「メシア」の意味は「油を注がれる者」という意味です。この意味の「メシア」が「キリスト」です。言い方を換えれば、旧約聖書に「油を注がれる者」と記されている箇所のすべてを「キリスト」と訳しても間違いではないということです。

今日の箇所はサムエル記上16章です。何人かの人が登場しますが、この中で特に重要な人物はサムエル、サウル、ダビデ、エッサイの4人です。サムエルは預言者です。サウルはイスラエル王国の初代国王です。ダビデは第2代国王です。エッサイはダビデの父親であり、羊飼いです。

この4人の中に3人「キリスト」がいます。サムエルもサウルもダビデも「キリスト」です。それは、この3人は「油を注がれた者」(メシア)であるという意味です。この3人だけが「油を注がれる者」(メシア)であるという意味ではありません。旧約の時代には、預言者、王、祭司の3つの職務に就く人々の頭に油が注がれました。それらすべての人が「キリスト」です。

今日の箇所に記されているのは、預言者サムエルがイスラエル王国の初代国王のサウルに油を注いだけれども、サウルが職務を継続するのが不可能になったために、サウルを退け、サウルの代わりに新しい王としてダビデを選び、ダビデの頭に油を注いだ場面です。

最初に申し上げたとおり、イスラエル民族の歴史はアブラハムから始まりましたが、最初は遊牧民の一家族にすぎませんでした。しかし、神の約束の通り、空の星の数ほど、大地の砂粒の数ほど、数えきれない多くの子孫を与えられ、ついにひとつの国家を作ることになりました。

それで、預言者サムエルが王国としてのイスラエルを率いる初代国王になるサウルの頭に油を注ぎましたが、サムエルはイスラエルが王国になることに否定的でした。そのことがサムエル記上8章にはっきり記されています。ぜひじっくり読んでみていただきたいです。

サムエルはなぜイスラエルが王国になることに対して否定的だったかといえば、イスラエルは本来的に信仰共同体であるべきであるという認識をサムエルが持っていたからです。信仰共同体の勢力が増したからといって国家になり、政治の共同体になってしまうと、「神」を信じる信仰が、いつの間にか、強いリーダーシップと権力を持つ「人間」への信頼や期待に置き換えられ、それによって共同体の内実が変質してしまうからです。

教会も同じです。教会に集まる人々は、神への信仰を求めて集まります。しかし、教会の勢力が拡大してくると、強いリーダーシップや権力を持つ人が、おのずから登場する面があるのと、そのようなリーダーをみんなが要求しはじめる面もあり、教会の内実が変質します。神に従っているのか、強いリーダーに従っているのかが分からなくなってしまうのです。

しかし、イスラエルの人々の中から強いリーダーを求める声が強くなり、それに逆らうことができなくなったので、サムエルは王を選ぶことにし、初代の王としてサウルに油を注ぎました。サウルは最初の頃は良かったのですが、高齢になって晩節を汚す言動を繰り返すようになったので、サムエルがサウルに代わる2代目の王を探すことになりました。

それで、サムエルは羊飼いだったエッサイの子どもたちの中からダビデを選び、その頭に油を注ぎました。サウルは自分が職務から退けられ、自分の代わりにダビデが新しい王になることを知ったとき、嫉妬にかられて怒り、ダビデを殺そうとします。しかし、ダビデは、自分がサウルから殺されそうになったときも、その後も一貫してサウルに対する敬意を持ち続けました。

なぜダビデが自分のことを殺そうとまでする先代の王サウルに対して敬意を持ち続けることができたのかといえば、その理由がまさに「サウルは油を注がれた人だから」ということでした。そのことがはっきり記されているのがサムエル記上26章です。「主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない」(11節)とダビデが語っています。

ダビデはサウルの人間性やリーダーシップを尊敬したのではありません。その面には失望し、軽蔑すらしていたでしょう。しかし、ダビデは最後までサウルを尊敬しました。それがダビデにできたのは、サウルが「油を注がれた者」であること、つまり、神がなされた行為に対する畏れと信仰を最後まで重んじたからです。

教会も同じです。これからも教会の歴史は続いていくでしょう。それはいま生きている私たちの信仰を、次の世代の人々が受け継いでくれることを意味します。しかしそれは、今の私たちを尊敬してほしいと次の世代の人々に要求することとは違います。「私たち」でなく「神」を信じてほしいと願うだけです。その点が不明であれば次の世代の人々の中に不信感が生まれます。

(2021年11月21日 主日礼拝)

2021年11月14日日曜日

信仰と決断(2021年11月14日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 474番 わが身の望みは 奏楽・長井志保乃さん、字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3594号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「信仰と決断」

創世記13章8~18節

関口 康

「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。」

先々週、先週、そして今日と、3回続けて旧約聖書の創世記を開いています。日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に従っています。

この時期に旧約聖書の学びをするのは、クリスマス礼拝が近づいていることと関係あります。新約聖書とキリスト教会の視点から言うと、わたしたちの救い主イエス・キリストがお生まれになったことには旧約聖書の神の約束が実現したという意味があるからです。

今日の箇所の登場人物も、先週と同じアブラハムです。「信仰の父」と呼ばれることがある存在です。イスラエル民族の初代族長です。アブラハムが旧約聖書で初めて登場するのは創世記11章27節です。

それはアブラハムの父の名がテラと言い、そのテラの系図の中にアブラハムの名前が出てくる箇所です。ただし、そこに記されているのは「アブラム」という名前です。「テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた」と書いてあるとおりです。

この「アブラム」がその後「アブラハム」と名前を変える場面も、創世記の中にしっかり記されています。17章5節に神さまの言葉として「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである」と書かれているとおりです。

この改名にはもちろん意味があります。「アブラム」という名前の意味は「偉大な父」であるのに対し、「アブラハム」の意味は「多くの民の父」です。

このアブラハムが「イスラエル民族の初代族長である」と先ほど言いましたが、「イスラエル」という呼び名はアブラハムの頃にはまだなく、この名前が登場するのは創世記32章29節です。アブラハムの孫の三代目族長ヤコブに(おそらく)神が「お前の名はもうヤコブではなく、これからイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」とお話しになったことに由来します。

しかし、だからといってイスラエル民族がヤコブから始まったわけではありません。初代族長はアブラハム、二代目はアブラハムの長男のイサクです。ヤコブは三代目です。このようなことはすべて創世記、ひいては旧約聖書の中に記されています。

しかし、イスラエル民族の最初の出発点のアブラハムは、まだアブラムだったころ、妻サライ(創世記17章15節以降は「サラ」と改名)、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、父テラと共に生活していたハランの地で加わった人々を連れて、カナン地方に向けて旅をはじめました。そのときは「民族」ではなく、ひとつの「家族」でした。

「アブラムはハランを出発したとき75歳であった」(創世記12章4節)とも書かれています。亡くなった年齢は「175歳」だったことが創世記25章7節で明らかにされています。今の私たちと同じ年齢の数え方なのかそうではないのかを判断する根拠を、私は勉強不足で知りませんが、「アブラハムは長寿を全うした」(創世記25章8節)とは書かれていますので、「長寿」であるという認識はあったと思われます。

しかし、しかし、と何度も話を引き戻さなくてはなりません。今日開いている箇所に記されているアブラハムの姿も、先週の箇所の彼の姿も、「偉大な父」あるいは「多くの民の父」になっていく前の、むしろ孤独で小さな存在であった頃の彼であるということを言わなくてはなりません。

そして、このようなことを学びながらわたしたちが考えるべきことは、教会のことです。聖書の時代の族長物語についての知識を得ることも大事です。しかし、単なる知識に終始するだけだと「だからどうした」という疑問がわいてきます。

むしろ大切なのは、アブラハム自身にせよ、その後のイスラエル民族のあり方にせよ、わたしたち自身の姿、教会の姿と重ね合わせて読んでいくことで、わたしたちのあり方、教会のあり方を考えることです。

アブラハムも最初は、実家を飛び出して、むしろ孤立した夫婦と甥と一緒に働く人だけだった。そこから一大民族になるまで相当の時間がかかったということを学ぶべきです。教会も同じです。教会の規模が小さい、人が少ないといろいろ言いたくなるのも分かりますが、規模が大きくなるまでに世代を重ねて行かなくてはなりません。

しかし、まだ今日の箇所である創世記13章に書かれていることには、触れていません。やっと前提の話をし終えたところです。今日の箇所に記されているのは、アブラハムとサラの夫婦と、甥のロトが別れて、その後は別の道を進むことにした、その決断の場面です。

なぜ別れることになったかは13章5節以下に記されています。「アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた」が、「その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた」など、その経緯が縷々明らかにされています。

このままの状態が続くとけんかになると考えたアブラハムがロトに提案したのが、別々の道を進んでいくことだったというわけです。「わたしたちは親類どうしだ。わたしたちとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」(9節)とアブラハムのほうから提案しました。

これが意味することは、アブラハムの側が譲歩したということです。右に行くか左に行くかの選択の優先権が私のほうにあるとアブラハムが主張せず、むしろロトの側に優先権を手渡したということです。こういうところにアブラハムの偉大さを私は感じます。

ロトが選んだのは、「ヨルダン川流域の低地一帯」で、「主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた」(10節)ほうでしたが、そちらに悪名高き滅びの町「ソドムとゴモラ」があったことが、後で分かります。

アブラハムに残されたのは、ヨルダンの低地と比較すると高く、牧畜に適さず、厳しい環境の「カナン地方」でした。そのカナン地方に数百年後、イスラエル王国が築かれます。

歴史の分かれ目に、そこに立ち会う人々の信仰と決断が問われます。決して悪い意味ではなく、むしろ大いに良い意味で「人の思いが働く」のです。人間が何もしないで手をこまねいたままで歴史が勝手に動くわけではありません。

教会も同じです。わたしたちの信仰と決断が、明日の教会、未来の教会を作り出すのです。

(2021年11月14日 主日礼拝)

2021年11月7日日曜日

神の民(2021年11月7日 教会創立69周年記念礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

オリジナル讃美歌「善き力にわれかこまれ」


礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3593号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「神の民」

創世記15章1~15節

「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』」

今日は「昭島教会創立69周年記念礼拝」です。今日の週報に記しましたように、1952年11月2日に日本キリスト教団昭和町伝道所として最初の礼拝を守り、今年は数えて69年になります。

昭島教会50周年誌『み足のあと』(2002年)の「年表」によると、1952年11月2日の週報が「第1号」です。そして今日の週報が「第3593号」です。それは3593回の聖日礼拝が行われたことを意味します。最初の礼拝から今日まで69年間、石川献之助先生が昭島教会の伝道と牧会を続けて来られました。途中で一度隠退されましたが、協力牧師の立場にとどまられ、その後主任牧師に復帰されました。今年からは名誉牧師になられました。

ただし、今日の礼拝を含めた3593回の礼拝の中に、昨年(2020年)4月からたびたび出された緊急事態宣言との関係で「各自自宅礼拝」として行った回が含まれています。週報についても、合併号を作成して発行部数を少なくした時期もありますが、礼拝の回数は間違っていません。

しかし、『日本基督教団年鑑』では昭島教会の設立日は「1951年4月30日」であるとされています。そのとおりであれば、今年は創立70周年です。なぜこの違いが生じたのでしょうか。これも昭島教会50周年誌に答えがあります。教団年鑑記載の「1951年4月30日」は青梅教会の久山峯四郎牧師が兼務担任教師として昭和町伝道所の設立届を提出した日です。しかし教会員はゼロでした。だれもいないところに石川先生が招聘されました。そして最初の礼拝を行ったのが69年前の「1952年11月2日」ですので、その日が創立記念日であることに十分な理由があります。

この問題には「教会とは何か」という根本的な問いが含まれています。『み足のあと』によると、昭和町に阿佐ヶ谷教会員の石黒トヨ姉と淀橋教会の本多弥蔵兄がおられ、両家が集まる家庭集会で「この地に教会が与えられるように」と祈りがささげられていました。

また在日米軍横田基地で働いていた近藤駿兄が基地内教会で洗礼を受け、昭和町で街頭子ども会を開いていたのを基地内教会のチャプレンのハプソン氏が応援して、献金を集めて木造の教会堂を八清公園に建てて、日本キリスト教団東京教区に寄贈しました。それを教会にしようと考えた東京教区伝道委員会が、久山先生に伝道所設立届を出してもらったというわけです。

それが「教会」なのかというと、そうではありません。それがわたしたちの立場だと私は理解します。建物があるから、この地に教会が与えられるようにと祈っていた人々がいたから、伝道所設立届が教団に受理されたから、だから「教会」なのか。そうではありません。69年前の今日は石川先生が専任教職として赴任された日でもありません。最初の聖日礼拝が行われた日です。この「礼拝が行われた」という生きた事実が出発点であるという理解に立つことが重要です。

しかしまた、今申し上げた理解に立って「教会」をとらえることは、わたしたちにとっては、ある意味で厳しい問いと絶えず向き合っていることも意味します。なぜなら、あえて逆の考え方をすると、もし日曜日にだれも集まらず、「礼拝」を行うことができなくなったら、それが「教会」の終わりであることを意味せざるをえないからです。

そのような日が来ることはありえないとどうして言えるでしょう。牧師である者たちのみんながみんな同じではないかもしれませんが、教会の皆さんに対して失礼な言い方に違いなくて申し訳ありませんが、土曜日を迎えるたびに「明日の礼拝に、もしだれもいなかったらどうしよう」と悩む牧師は、たぶん少なくありません。私がどう思うかは言わないでおきます。内緒です。

石川先生は69年間、その問いと向き合ってこられたはずです。私も牧師の末席を汚す者として、どれほどのプレッシャーであるかを知らずにはいません。私の言動のせいで、あの人もこの人もつまずいて礼拝に来られなくなってしまった、と悔いる思いは、私にもあります。

しかし、今申し上げたことは、言わないほうがよかったもしれないと、言ったそばから悔いています。これはやはり、教会の皆さんに対して失礼な言い方です。まるで牧師がひとりで教会を切り盛りしているかのようです。それは甚だしい誤解です。牧師ひとりでは何もできません。

今日は「昭島教会の」69歳の誕生日です。それは、教会の皆さんの汗と涙の歴史を思い起こし、それでも教会は生きていること、そして、生きた礼拝が今日まで続けられてきたし、これからも続けられていくであろうことを喜び、感謝し、お祝いする日であることを意味します。

それはまた、別の観点から言い直せば、昭島教会に連なるわたしたちひとりひとりの「信仰」の問題であると言えます。わたしたちに問われているのは、今日朗読した聖書の箇所に登場するアブラハムが神から問われた「信仰」と本質的に同じです。

アブラハムはイスラエル民族の初代族長です。アブラハムは生まれ故郷を離れ、妻サラと共に旅人になります。生まれ故郷は異教の神々が礼拝される異教の地でした。そこから飛び出して、真の神を信じる信仰を求めるために旅を出かけたとも言われます。

そのアブラハムに神さまが「あなたを大いなる国民にする」(創世記12章2節)という約束をしてくださいました。その約束の意味は、多くの子孫を与えるということでした。

しかし、その約束を示されてから何年経ってもアブラハムと妻サラとの間に子どもが与えられませんでした。神の約束を疑う思いを抱いた日が全く無かったわけではありません。その疑いの言葉が今日の箇所にも記されています。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません」(2節)。あの約束は嘘だったのですかと。

アブラハムに神が改めて約束してくださいました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」(5節)。この約束をアブラハムは信じ、その信仰を神さまが「彼の義と認められた」(6節)と記されています。

アブラハムが生きていた時代は紀元前2000年頃だと考えられています。今から4000年前です。そう考えると途方も無い昔の話に思えます。しかし、そのアブラハムのことを今から2000年前の使徒パウロがローマの信徒への手紙の4章で大きく取り上げています。特に「アブラハムの子孫」の意味は、彼の血縁関係にあるユダヤ人だけでなく、「信仰を受け継ぐ者」のことであり、イエス・キリストへの信仰を持つ「わたしたち」のことだと書いています。

その線で言えば、今日のわたしたち「教会」は「アブラハムの子孫」です。わたしたちが週末を迎えるたびに「明日の礼拝にひとりもいなかったらどうしよう」と悩む思いと、アブラハムが神の約束を疑った思いは本質的に同じだということです。だとしたら、わたしたちもアブラハムのように、星の数ほど多くの人と共に礼拝をささげる日が訪れることを信じようではありませんか。先週の永眠者記念礼拝で覚えた132名の信仰の先達がたは、昭島教会の星です。もっと多くの、さらに多くの星を見上げながら、昭島教会の歴史をこれからも築いて行こうではありませんか。

(2021年11月7日 昭島教会創立69周年記念礼拝)

2021年10月31日日曜日

救いの約束(2021年10月31日 永眠者記念礼拝 宗教改革記念礼拝)

讃美歌21 510番 主よ、終わりまで 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3592号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「救いの約束」

創世記45章1~8節

「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。」

今日の礼拝は「永眠者記念礼拝」です。同時に「宗教改革記念礼拝」でもあります。さらに来週11月7日(日)は「昭島教会創立69周年記念礼拝」です。この3つの「記念礼拝」は、昭島教会で毎年この時期に行っていますので、ぜひご予定ください。

その中で「永眠者記念礼拝」は世界のキリスト教会が重んじ、日本キリスト教団も準じている教会暦にある「聖徒の日(永眠者記念日)」が11月1日で、「記念礼拝」は11月の第1日曜日に行うことになっているので、教会暦どおりなら今年は11月7日(日)です。

しかし、昭島教会はいつからそうするようになったかは私には分かりませんが、その教会暦の「聖徒の日(永眠者記念日)」よりも1週前に永眠者記念礼拝を行うことにしています。教会暦はわたしたちが絶対守らなければならないものではありません。あくまでも参考にするだけです。

1週ずらして行う理由は2つあると聞いています。ひとつは、永眠者記念礼拝の午後に墓前礼拝を行いますが、昭島教会墓地の周囲一帯がキリスト教墓地で、他の教会の墓前礼拝と重なって混み合うケースがあるので、それを避けるため、という実際問題です。

もうひとつは、必ず11月の第1日曜日には昭島教会の創立記念礼拝を行うので永眠者記念礼拝と重ならないようにするためです。昭島教会は1952年11月2日に「日本基督教団昭和町伝道所」として伝道を開始しました。その日から数えて今年で69年になります。

3つの「記念日」はすべて日付が決まっています。早い順でいえば、10月31日が宗教改革記念日です。翌日の11月1日が聖徒の日です。その翌日の11月2日が昭島教会の創立記念日です。それぞれの「記念礼拝」は最も近い日曜日に行います。

説明に時間を割いているのは、3つの「記念日」は関係あると申し上げたいからです。宗教改革記念日が10月31日になったのは、11月1日の「聖徒の日」の前日だったからです。古い本ですが、ベイントン『宗教改革史』(出村彰訳、新教出版社、第5版1977年)から以下引用します。

「ルター自身の領主、ザクセンのフリードリヒ賢公(1463~1525)は、毎年、万聖節(11月1日)の前夜に贖宥券を頒布する特権を与えられていた。1516年中に、ルターは二度にわたってこの慣習に抗議した。贖宥券は聖徒の余剰の功徳という誤った仮定に基づいているゆえに、欺瞞的かつ邪悪であり、痛悔よりも自己満足をもたらすことは確かである」(45頁)。

「万聖節」と訳されているのが「聖徒の日」です。16世紀にはすでに「聖徒の日」があったということです。その前日の10月31日に、「贖宥券」が頒布されたというわけです。「厳密に言えば、贖宥券は売られたのではなく、恵与されたのであるが、この恵与は支払い能力に応じて定められた献金と、全く時を同じくして行われた」(同上頁)ともベイントンが記しています。

その「贖宥券」(「免罪符」とも呼ばれる)を手に入れるとどうなるかについては、これも古い本ですが、岸千年『改革者マルティン・ルター』(聖文舎、1978年)に次のように記されています。

「中世の民衆は、地獄よりも煉獄を恐れていたが、その理由は、地獄における刑罰は悔い改めによってのがれることができるが、煉獄の刑罰は、教会が定めた苦行によるほかはないと教えられていたからである。この苦行はきびしく、パンと水だけで数年間の断食をしたり、長い年月にわたる巡礼をしたりしなければならなかった。民衆は、こうした苦行をどうにかして軽くしようと考えていたが、教会においても、よい行為の報酬として苦行の一部をゆるす方法を考え出した」(76~77頁)。それが「贖宥状」(免罪符)だったというわけです。

しかし、そのような思想そのものが間違っていると抗議したのがマルティン・ルターでした。その抗議の内容を記した「95か条の提題」をドイツ・ヴィッテンベルクの城教会で公開した日付が、ザクセンのフリードリヒ賢公が贖宥券を頒布する日である聖徒の日前夜の1517年10月31日だったので、その10月31日が「宗教改革記念日」になりました。つまり、「宗教改革記念日」と「聖徒の日(永眠者記念日)」は歴史的に明白な関係があるということです。

その関係をひとことで言えば、ルターの宗教改革の出発点は、「人は死んだらどこに行くのか」という最も根本的で深刻な問いに対して当時のローマ・カトリック教会が示した結論が間違っていることに対する徹底的な抗議だったということです。2つの記念日は表裏の関係にあります。

それでは、昭島教会の創立記念礼拝はどういう関係にあるか。69年前から「宗教改革記念日」と「聖徒の日」との関係を考えて1952年11月2日をもって伝道を開始なさったかどうかは私には分かりません。しかし、そのことよりもむしろ、年月を重ね、今日この礼拝堂に飾られている多くの信仰の先達がたのお写真を拝見しながら深まる思いが私にはあります。

教会は歴史的な存在です。地上で生を営んでいるわたしたちだけでなく、今は天国におられる信仰の先達がたこそ、教会の歴史を築き、作り上げてくださいました。

昭島教会の「創立記念礼拝」の関心は、69年前にどうだったかではなく、むしろ逆に、69年後の今がどうなのか、です。そして、今は「聖徒の日」として、「永眠者記念礼拝」として、教会の歴史を築き上げてくださった方々のことを覚えつつ、さらにこれからの昭島教会の歩みを続けていくことの決心と約束をすることこそ「教会創立記念礼拝」の趣旨でなければならないでしょう。その意味で、3つの記念礼拝は相互に関係している、ということです。

最後に今日の聖書箇所について短く説明します。ここに登場するのはヨセフです。アブラハム、イサク、ヤコブと3代続く族長の3代目のヤコブの12人の子どもの11番目のヨセフです。

ヨセフは父ヤコブの寵愛を受けたため、10人の兄たちから憎まれ、エジプトの奴隷商人に売り飛ばされます。しかし、エジプトで苦労して王のもとで司政官になり、エジプトやカナン地方を襲った大飢饉の中でエジプト人を救い、またカナンに住んでいた父ヤコブとその子どもたちにも食糧を分けて助けました。ヨセフは、自分を憎み、金で自分を売り飛ばした兄たちの罪を赦し、受け入れました。そのことがヨセフにできたのは、彼には神を信じる深い信仰があったからです。兄たちが自分をエジプトに売り飛ばしたのは、神が自分を兄たちよりも先にエジプトへと遣わし、兄たちを救うためだったと、そういう信仰をヨセフが持っていた、ということです。

神を信じる信仰とは、そういうものです。救いの約束はしばしば隠れています。人間には最初は分からないし、むしろ人間にとっては理不尽なことだらけです。神がわたしを見放されたのではないかと絶望する思いになることの連続です。しかし、理不尽の中で神が常に働いてくださり、ご自身のご計画を進め、世界を救ってくださいます。「信仰」こそがわたしたちの最後の砦です。

(2021年10月31日 永眠者記念礼拝 宗教改革記念礼拝)

2021年10月24日日曜日

水とぶどう酒(2021年10月24日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3591号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「水とぶどう酒」

ヨハネによる福音書2章1~11節

昭島教会 秋場治憲兄

「イエスは母に言われた。『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。』」

 今日の聖書箇所は主イエスが最初に行われた奇跡として、とても有名です。よきサマリア人の譬と同じように、知らない人はいないといっても過言ではないと思います。余りにも自明で、簡潔な物語として、さしたる感動もすることなく、私たちは足早にこの奇跡の横を走りぬけてしまうのではないでしょうか。今日はこの余りにも自明で、簡潔な奇跡の前で、じっくりと腰をおろし、この出来事に耳をすませてみたいと思います。

 ヨハネ福音書を一章から読み始めてまず感じるのは、バプテスマのヨハネと主イエスの対比が色濃く出てきていることに気づかされます。ヨハネは「荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。[1]」ヨハネは荒れ野に出て行った。彼はらくだの毛衣を着て、腰に皮の帯を締めいなごと野密を食べ物としていた。ヨハネは律法に厳格に従い、禁欲的な生活をしていた。一方主イエスは弟子たちと婚礼に出席した。一方は人間の世界から出ていく。他方主イエスは入ってくる。バプテスマのヨハネは律法学者、ファリサイ人に対して「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。私は、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、私の後から来られる方は、私よりも優れておられる。私はその履物をお脱がせする値打ちもない。その方は聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕をもって、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。[2]」と排他的ともいえる厳しさで迫る。これがヨハネにとって主の道を真っ直ぐにするということ。[3]しかし、主イエスは彼らを排除していない。章に入るとファリサイ派のニコデモ[4]と語らい教えられる。また律法学者からも招かれれば共に食事をし、教えられる。「よきサマリア人の譬[5]」では、「あなたも行って同じようにしなさい。」と諭される。またある時はヨハネの弟子たちが「私たちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」と問うている。これに対して主イエスは「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時、彼らは断食することになる。[6]」と答えています。今日のテキストを理解するための糸口が示されていると思います。

 ヨハネ福音書は一章の冒頭(1~5節)で主イエスについて述べた後、6節からこのバプテスマのヨハネを登場させています。そしてフィリポ、ペテロ、アンデレ、ナタナエル等弟子たちの召命の記事に続いて、第二章でこのカナの婚礼の出来事を配置しています。弟子のナタナエルは最初はバプテスマのヨハネの弟子でしたが、「見よ、神の子羊」という告白を聞いてイエスに従った。バプテスマのヨハネからイエスへの移行が示されています。

 主イエスはここ二章でも今見てきたように、弟子たちと一緒に婚礼の席に出席している。どうも主イエスの世界は、バプテスマのヨハネの世界の延長線上にはなく、異質なものを含んでいるようです。そんな背景の中で、ぶどう酒がなくなってしまった。予算が足りなかったのか、予想を上回る人たちが集まったのか、理由は明らかにされていませんが、ぶどう酒が無ければ喜びの席である婚礼が、台無しになってしまうことは間違いありません。主イエスの母マリアは、長男であるイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と告げる。この母マリアの言葉に対する主イエスの返事が私たちを驚かせます。「婦人よ、私とどんなかかわりがあるのです。私の時はまだ来ていません。[7]」(新共同訳)というものでした。原典ではこの「婦人よ、」と訳されている言葉は、ギュナイ:女よ、婦人よという呼びかけの言葉であり、決して失礼な使い方ではありませんが、それでも母と子という関係が、拒絶されていることは間違いありません。主イエスが来るべき自分の時に向けて歩み出す覚悟を示しているとみることができます。

  丁度アブラハムがその親族に別れを告げ、故郷カルデヤのウルを出立したことと重なってきます[8]

   1 主はアブラムに言われた。

「あなたは生まれ故郷

父の家を離れて

私が示す地に行きなさい。

   2 私はあなたを大いなる国民にし

     あなたを祝福し、あなたの名を高める

     祝福の源となるように。

   3 あなたを祝福する人を私は祝福し

     あなたを呪う者を私は呪う。

地上の氏族はすべて

あなたによって祝福に入る。」

   4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。(新共同訳)

  それでもこの言葉が母マリアに与えた衝撃は、如何ばかりかと推察するところですが、この主イエスの言葉に母マリアは少しも動じた様子はなく、まるで何も聞かなかったかのように、召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言っています。私たち日本人の一般社会通念では、もし母親が息子に「婦人よ」「女よ」なんて言われたとしたら、ほとんどの母親は怒り心頭に発することでしょう。しかしマリアは至って冷静です。一体これはどうしたことか。私はこの謎を解く鍵は、ヨハネがこの出来事の直前に配置したペテロ達弟子の召命とその弟子たちが共にこの婚礼に出席していたということにあるのではないかと思うのです。ヨハネはイエスの母マリアがこれら弟子達の召命を通して、息子イエスが自分の使命に向けて始動し始めていることを感じ取っていたということを伝えようとしているのではないか、と思うのです。更に言えば、新共同訳も口語訳も「婦人よ」という呼びかけで始まっていますが、原典では付けたしのように最後にきています。ティ(何が)エモイ(私と)カイ(そして)ソイ(あなたと)、ギュナイ(婦人よ)

ここは主イエスが大上段に振りかぶって、母マリアに決別の宣言をしたと読むのではなく、私の時は来ていないのですと母マリアに理解を求めるようなニュアンスがあったのではないかと(個人的には)推察しています。主イエスがその公生涯に出るということは、他でもない十字架への道を歩み始めるということだからです。主イエスの胸の内は分かりませんが、弟子たちを集めながら、その準備の段階だったのではないでしょうか。

この時のマリアの胸中はどうだったのでしょうか。主イエスが弟子たちを集めてそのミッションに向けて出立しようとしている姿に、自らもその覚悟をしながら老預言者シメオンに言われた言葉を思い出していたのではないでしょうか。シメオンは「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉です。[9]」そして母マリアに「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。―あなた自身も剣で心を刺し貫かれます―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。[10]」(新共同訳)

それでもイエスのこの「婦人よ」という言葉は、母と子という関係を拒絶していることには変わりありません。私はここのところを読んでいて、カナンの女[11]の信仰を思い出していました。なぜなら主イエスはここでも「婦人よ(ギュナイ)」という言葉を発しているからです。少々横道にそれますが、主イエスがティルスとシドン[12]の地方に行かれた時、この地に生まれた女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています。」と叫んだ。しかし主イエスは無視した。弟子たちはその鬱陶しさに、この女を追い払ってくれるように、イエスに願った。それでも叫ぶ女に主イエスが語った言葉は、「私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」というものでした。それでもこのカナンの女は、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と懇願した。イエスは「子供たちのパンを取って子犬にやってはいけない」と答えた。私はイスラエルに遣わされたのであり、異邦人のあなたは対象外である。その子供たちのパンを取り上げ、子犬にやるべきではない、と答えた。ここには明確な拒絶がある。娘の回復を願う母親の前に、大きな壁が立ちはだかった。

 しかしヨハネ福音書はその冒頭4節には「この言葉に命があった。そして、この命は人の光であった。」(口語訳)と、また9節には「すべての人を照らすまことの光があって世に来た」と紹介したばかりではなかったか。それなのにこの拒絶はどうしたことか。矛盾するのではないか。普通はここであきらめるか捨て台詞を残して背をむけるものですが、カナンの女の口をついて出てきた言葉は、「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」というものでした。これは主イエスも予期していなかった言葉だったようです。口語訳にも新共同訳にも単に「婦人よ」としか訳出されていませんが、原典では主イエスの驚きの声が出ています。オー(感嘆詞) ギュナイ(婦人よ)、 メガレー(驚くべきもの) スー(あなたの) へ(定冠詞 その) ピスティス(信仰は) メガレーという言葉は、メガトン[13]という言葉の語源になったことばです。 「大きい」、「豊かな」そして「驚くべき」という意味の形容詞です。新共同訳は「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」、口語訳は「女よ、あなたの信仰は見上げたものである」となっています。私はこの主イエスの驚きの叫びを訳出すべきではないかと思っています。主イエスの言葉は、カナンの女を絶望に陥れて余りある厳しいものでした。しかし彼女は目の前の大きな山の向こうに、希望を確信していた。イエスの否定の言葉の背後に、肯定を信じた。イエスの母マリアがイエスの厳しい拒絶の言葉の背後に、受容を疑わなかったように、カナンの女も信じた。そして「あなたの願いどうりになるように」という言葉が返ってきた。すべての人を照らすまことの光がこの世にやってきた。この言葉に命があった。この言葉は神と共にあった。言葉は神であった。と聖書は証して止まない。

 私たちは順境の日に神を讃美することは実に容易です。しかし一旦逆境の日を迎えた時には、いとも簡単に賛美は呪いに変わってしまうのではないでしょうか。私たちは自分の思い通りに事が運ばない時、神から捨てられ、神が敵になったと思われる時、このカナンの女の信仰、そしてマリアの信仰を思い起こしたいものです。カナンの女の目の前に立ちはだかっていた絶対に動かないと思われていた山が動いたのです。カナンの女の信仰は「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。[14]」というへブル書の言葉の意味を私たちに示して余りあるものとなっています。

今日の本題に戻ります。「ぶどう酒がなくなりました」というマリアの訴えに、主イエスは「婦人よ、私とどんなかかわりがあるのです。私の時はまだ来ていません。」と拒絶しながらも、母マリアの「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」という母の期待にこたえます。これが母の願いを聞く最後の機会だと考えたからか、あるいはこの婚礼の喜びを台無しにしてはならないと考えたからか、或いは他に何か意図があったのか、定かには分かりません。聖書はそのことに触れてはいません。

「そこにはユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。」聖書の巻末に「度量衡および通貨」という付録が付いています。それによると1メトレテスは39ℓということですから、2~3メトレテススは78ℓ~117ℓという非常に大きなかめが六つも置いてあった。これらのかめに水をいっぱいに満たせというのですから、これは大仕事です。これは同時に日常的に清めを必要とする機会が如何に多くあったかということを物語っています。召使たちはマリアの言葉に従い、それらのかめを水でいっぱいに満たします。6節では「召し使いたちはかめの縁(ふち)まで水を満たした」と記されています。そしてこの作業が完了した時、主イエスは「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持っていきなさい。」と言われた。「水」は「ぶどう酒」に変えられていた、というのです。この点に今日の中心的なメッセージがあると思います。

21世紀に生き科学的な教育を受けて育ってきた我々には、にわかには信じられませんが、これは二千年前の時代においても有り得ないことだったのです。誰しもがそんな馬鹿なことがある訳がないと考えるでしょう。そんなことは充分承知の上で、聖書はこのあり得ないことが起こったと伝えているのです。ここで私たちが忘れてならないことは、≪主イエスに出会うと≫という但し書きがあるということです。この主人公を忘れて水がぶどう酒に変わる、そんなことある訳がないという。ここで言われていることは、ユダヤ人たちが用いていた「清めの水」が「主イエスの贖いの血潮」にとって変わられるということです。主イエスは「律法と預言者はヨハネの時までである。[15]」と言われた。モーセ以来二千年以上にわたってユダヤ人たちの生活の基盤であり、神に選ばれた民族としての誇りと自負を支えてきた律法が、主イエスの贖いの血潮によって取って代わられるというのですから穏やかではありません。主イエスの贖いの血潮によって清められた者たちには、もはや律法の立ち位置は残されていないというのです。清めの水がめは「縁のところまで」いっぱいに満たされた、それは律法という器が贖いの血潮によって余すところなく満たされたのである、というのが今日の中心的なメッセージです。バプテスマのヨハネの時代は過ぎ去り、新しい時代、ぶどう酒によって表される婚礼の席の喜びの時代が開始されたというのです。「なぜなら、罪は、もはやあなた方を支配することはないからです。あなた方は律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。[16]」「キリストは、すべて信じる者に義をえさせるために、律法の終わりとなられたのである。[17]」「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。[18]」「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、(私たちの)罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その(御子の)肉において罪を罪として処断されたのです。[19]」ヨハネ福音書はこの「清めの水」が「ぶどう酒」に変わったという出来事を通して、新しい時代の幕開けを宣言しているのです。

律法は新しい人、キリスト・イエスに結ばれ、その血潮によって清められた人には及ばないというのです。律法の限界はキリストまでである。主イエスが来られた時、モーセも律法もその働きを止めたのです。割礼も犠牲も安息日もなくなったのであり、すべての預言者もなくなったのです。水がぶどう酒に変えられたということは、主イエスに出会うと必然的に起こることであるということが分かります。バプテスマのヨハネが牢に捕らえられている時、イエスの御わざが聞こえてきた。しかしそれは自分が思い描いていたイメージとは異なっていた。彼はイエスの下へ弟子を使いに出し、「来るべき方はあなたですか。それともほかに誰かをまつべきでしょうか。」と問うた。それに対するイエスの答えは「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない者は、幸いである。[20]」と答えられた。私たちも私たちの心の内に律法が上がり込み、私たちを責めるなら、律法は神の御子の贖いの血潮によって余すところなく満たされ、私たちはその義によって覆われていることを忘れてはならないのです。ペテロは主イエスから目を話した瞬間に、荒れ狂う波が怖くなり溺れてしまったのです。

イエスに出会った罪人、病人が婚礼という喜びの席に招待された者のように、≪よきおとずれ≫を聞かされている。その心から失望が消えていった。今までこちらからしか物が見えなかった者が、あちらから、別の角度から見ることを教えられる。ルターはここで、だから単に水だけでなく、石でも石炭でも持って来なさい、と言っておられるようだと言っています。実際水よりも火よりも激しく御し難い人間の原罪の問題に変化と解放が起こるのです。

パウロは自分の欲する善はこれをなさず、欲せざる悪はこれをなす。私は何という惨めな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、私を救ってくれるだろうか、と呻きにも似た叫びをあげざるを得ない所から「私たちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。[21]」と救い主としてのキリストへと突き抜けています。ユダヤ人の清めの水から主イエス・キリストによる贖いの血潮へと導かれ、主イエスを送ってくださった神に感謝をささげています。山上の説教に「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは(主イエス・キリストの義によって)満たされる。[22]」(新共同訳)「幸いである」と訳されている言葉(マカリオイ)は、「祝福されている」という意味の形容詞です。義に飢え渇く者がどうして祝福されているのか、どうして幸いなのか。それは律法の器がぶどう酒によって満たされたように、キリスト・イエスによる贖いの血潮によって余すところなく満たされるからだ、というのです。この主イエスの最初の奇跡の中に、これから始まろうとしている神の御子の使命とその意義が満々とたたえられているのです。

最後にもう一か所主イエスが母マリアに「婦人よ」と呼びかけている箇所があります。それは十字架の上から母マリアに語りかけた言葉です。ギュナイ(婦人よ)、イデ([23]ごらんなさい)ホ(定冠詞)ヒュイオス(息子)スー(あなたの)、そして愛する弟子に イデ(ごらんなさい)ヘ(定冠詞)メーテル(母)スー(あなたの) とても簡単なギリシャ語です。それだけに私たちに多くのことを考えさせる言葉でもあります。日本的、情緒的に考えれば、母に対して息子としての役割を果たせなかったこと、多くの悲しみを与えてしまったことを詫び、自分の代りに愛する弟子をその息子として残すことによって母マリアの悲しみに寄り添ったと受け取ることも出来るかもしれません。ガリラヤのカナでのギュナイは非常に緊張に満ちたギュナイでしたが、最後のギュナイは母マリアへの慈しみに満ちた言葉ということもできる。

ヨハネ福音書によれば主イエスの生涯はガリラヤのカナでのギュナイ「婦人よ」に始まり、十字架の上からのギュナイ「婦人よ」に終わったということができると思います。そしてその生涯は律法という器を自分の血潮によって、満々と満たすという使命に生きた生涯であったということができるのではないかと思います。

当時の社会の中で律法を守ることの出来なかった人々、病を負う人々そしてサマリア人に対して「罪人」「不浄の民」というレッテルを貼り、排除するユダヤの宗教的エリート達に対して、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。[24]」「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。[25]」と敢然と立ち向かった生涯であったということができる。神はこの使命に生きた人の子イエスを神の子と認定し、ご自身の右に座すものとされたと聖書は証ししています。

マタイ福音書には「『私の母とはだれか。私の兄弟とはだれか。』そして弟子たちの方を指して言われた。『見なさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。だれでも、私の天の父の御心を行う人が、私の兄弟、姉妹、また母である。』」

ここにはキリストの血潮によって贖われた者たちの新しい関係、「教会」が指し示されていると読むこともできます。私たちの用意したただの水は芳醇な香りを放ち、飲む者たちの心を喜びで満たすぶどう酒に変えられる。そしてこのぶどう酒は、私たちの罪を洗い流し、贖い、私たちの心を喜びで満たすもの。十字架上で流された主イエスの血潮である。私たちの困窮が喜びに変えられる、というのです。

 来月は待降節に入ります。私たちが「久しく待ちにし 主はきませり」と待ちわびる方は、今日みてきたような生涯をおくられた方であることを深く心に刻み、待降節を迎えたいと思います。              


[1] イザヤ書40:3「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」(新共同訳)「呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために大路をまっすぐにせよ。』」(口語訳)

[2] マタイ福音書3:1~12

[3] 後日ヨハネが牢に捕らえられた時、二人の弟子をイエスのもとに遣わし、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たねばなりませんか。」と問わせている。ヨハネが抱いていた救い主のイメージと漏れ聞くところが余りにも隔たりがあったからではないかと思われる。この問いに対して、あなた方が見たり、聞いたりしたことをありのままにヨハネに伝えなさい。「目の不自由な人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである。」(ルカ福音書7:18~23)

[4] この人は危険を承知の上でアリマタヤのヨセフと共に、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラ持って、主イエスの遺体を引き取りにきた人である。(ヨハネ福音書19:38~42)

[5] ルカ福音書10:25~37

[6] マタイ9:14~17 新しい時代の到来を告げられている。

[7] 「婦人よ、あなたは私と、何のかかわりがありますか。私の時はまだきていません。」(口語訳)

 RSVo woman,what have you to do with me? My hour has not yet come.となっています。新改訳聖書は「女の方」として、最後にもってきています。

[8] 創世記12:1以下 アブラハムがまだアブラムと呼ばれていた時のこと。

[9] ルカ福音書2:29~32

[10] ルカ福音書2:34~35 マリアの讃歌(ルカ1:46~55)も合わせて読んでみて下さい。

[11] マタイ福音書15:21

[12] 口語訳では「ツロとシドン」、ティルスは地中海東岸の町、カナからは12~13kmでフェニキ

アの通商都市。そこから36km北にシドンがある。ダビデ王の時代ツロの王ヒラムがダビデの神

殿建築のためにレバノンの木材と技術者を提供したことが旧約聖書に記されている。

[13] 核爆弾爆発エネルギーを表す単位。TNT火薬100万トンに相当する。(国語辞典 旺文社)

[14] へブル人への手紙11:1

[15] ルカ福音書16:16

[16] ローマ書26:14

[17] ローマ書10:4(口語訳)

[18] ローマ書8:1

[19] ローマ書8:3

[20] マタイ福音書11:2~6

[21] ローマ7:14~25参照

[22] マタイ福音書5:6「義に飢え渇いている人たちは、幸いである。彼らは飽き足りるようになるであろう。」(口語訳)

[23] 「見る」という動詞の命令形

[24] マルコ福音書2:17

[25] マタイ福音書21:31


2021年10月17日日曜日

天国(2021年10月17日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


讃美歌21 504番 主よ、み手もて 奏楽・長井志保乃さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3590号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「天国」

ヨハネの黙示録7章9~17節

関口 康

「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」

今日は新約聖書のヨハネの黙示録を開いています。旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合計66巻の最後の66番目の書物です。旧約と新約の書物の数は「さんく、にじゅうしち」と九九(くく)の語呂合わせで覚えると忘れません。

ヨハネの黙示録が書かれた時代的背景として考えられているのは西暦1世紀末、特に紀元81年から96年までローマ帝国がドミティアヌス皇帝によって支配されていたことと関係あるだろうということです。

ドミティアヌス皇帝は、ローマ帝国が支配する地域の至るところに自分の像を建てさせ、その像の前で自分に対する忠誠を誓わせた人です。ローマ皇帝を神として礼拝させる行為です。像を拝もうとしない人々は迫害し、殺害しました。そのような行為は偶像礼拝であるとみなして拒否するユダヤ人やキリスト者は、迫害と殺害の対象でした。

今のわたしたちにそのようなことはないと言い切れるかどうかは、考え方次第です。私自身は体験的には知らない世代ですが、80年前の大日本帝国の時代には、それときわめて近い、または同じと言いうる状況だったことを実際に体験なさった方々がおられるでしょう。

戦後はどうでしょうか。宮城遥拝をしない者は逮捕抑留されるという状況はなくなりました。しかし、違う形のもっと巧妙な方法による宗教抑制が今でも続いていると私は感じます。うまく説明できませんが、何かしら抑制をかけられている気がしてなりません。

日本のキリスト者人口が何十年も国民の1%を越えないことは、諸外国の教会の謎だそうです。以前もお話ししましたが、アメリカ人の宣教師から直接聞いたのは、日本でキリスト教を広めるために多くのアメリカ人の献金と人材を送ってきたのに一向に伸びない。同じだけのお金と人材をミャンマー伝道へと振り替えれば日本の教会の何十倍も多くの信徒を得られることが分かったので、日本伝道から撤退しようという提案が何度となくなされるという話です。

しかし、その話をしてくれた宣教師たちはなんとか日本にとどまって伝道を続けたいので本国教会で事情を説明しなくてはならないが、うまく説明できなくて悩むというのです。

作り話ではなく、まだ10年ほど前に、私のこの耳で、しかもアメリカ教会と日本教会の正規の会議の場で実際に聞いた話です。

そういう話を聞くと「わたしたちは」と言っておきますが、日本のキリスト者は真面目なので、自己責任を感じやすいところがあり、自分たちの努力が足りないから教会が伸びない、キリスト者人口が増えないと当然考えるわけですが、本当にそうなのか、理由はそれだけなのか、わたしたちの努力不足なのかという点は、一向に分からずじまいです。

それでも何らかの説明をしなければならないので、「日本の風土や伝統文化にキリスト教は適合しにくい」とか「日本古来の強大な宗教の壁はあまりにも厚い」などの理由を考えることになりますが、私に言わせていただけば、どの説明を聞いてもよく分からないし、納得が行きません。

これだけは言わせてほしいです。個人的な努力や小さな集団の努力だけでは如何ともしがたい、政治や経済という大きな力が働いているような気がしてならないということは、決して責任逃れの意味ではなく思うところです。今のわたしたちはまるで、ローマ帝国の全領土の住民にローマ皇帝の像を拝むように強いられた只中にいた、西暦1世紀の教会さながらです。

そのような圧力も障害も何もないと言うかどうかは考え方次第です。私には、どうしてもそのように思えないです。圧力も障害も「ある」としか言いようがありません。

その中で、イエス・キリストへの信仰を守り、かつ信仰共同体としての教会の存在にとどまり続けた人々に待ち受けるのは迫害と殉教の道だったわけですが、その道を貫いた人々を神御自身が、神の小羊なるイエス・キリストがそこで待っておられる「天国」へと受け入れてくださるというのが、ヨハネの黙示録の基本思想であると言えます。

ヨハネの黙示録が描く「天国」だけが聖書における天国の意味ではないと言うべきかもしれません。確かに「天国」にはもっと他にも多くの異なる意味があります。ヨハネの黙示録における意味だけで「天国」を説明しますと、不満が生じる可能性がないと限りません。

なぜなら、その意味での「天国」は、先ほど申し上げたとおり、地上においてイエス・キリストへの信仰を与えられ、信仰共同体としての教会の仲間に加えられたうえで、ローマ皇帝の像の前で忠誠を誓う皇帝礼拝を拒否したことで迫害を受け、殉教した人々の信仰の努力に対する報いとして与えられるものだからです。

すでに疑問を感じておられる方がいらっしゃるのではないかと思います。私自身もこの説明をしながらすでに葛藤しています。もしそれが「天国」だというなら、地上で信仰を持たなかった、教会に通わなかった、あるいは、ある時期までは熱心に教会に通っていたけれども人生の途中でそれをやめてしまった、その人々はいったい今どこにおられるのだろうという問いが、おそらく必ず誰の心の中にも起こるであろうからです。

どんなことであれ、わたしたちがいろんなことについて筋道を立てて順を追って考えるときに必ずするのは、ひとつのことの表側だけではなく、裏側まで考えることです。「このような人々が天国に受け入れられる」という話を聞くだけで、「その説明に該当しない人々は、どこに受け入れられるのか」ということをだれでも必ず考えます。そこが天国でないなら「地獄」なのか。それとも、天国でも地獄でもない「第三の」場所なのか。そんなところが本当に存在するのかと。

それだけではありません。そもそも、迫害だとか殉教だとかを耐えて我慢してまで信仰を守り、教会の交わりにつながることを、神が本当に求めておられるのか。そのような苦しみに堪えられない弱い人々を、神は切り捨て、我慢強い人々だけの「天国」を神が要求しておられるのかと。

もしそれが神だというのなら、私にとっては堪えられない神なので、信じることができないし、信じることで苦しみ、信じることで死なねばならないなら、信じるのをやめて楽になり、生きる道を選ぶほうが救いだろうにと考える人々は必ずいるだろうと、私には思えてなりません。

しかし、今申し上げているのは結論ではありません。ただ「考えている」だけです。はっきりしているのは、わたしたちの神は弱い人を切り捨てる方では断じてないということです。しかしまた、信仰をもって生き抜き、教会の交わりの中にとどまり続ける人々を神は喜んでくださり、「天国」を約束してくださっています。その2つのことは矛盾しないと私は考えます。そのことを皆さんに納得していただける言葉で、うまく説明できないだけです。言葉の限界を感じます。

(2021年10月17日 主日礼拝)